山口のひとりごと。。

「ひとりごと」ですので、「そんな見方もあるんだな」くらいで流してもらえれば。

カープレジェンドについて知ろう【緒方孝市】

 

自分たち世代の人は、

緒方の現役晩年をギリギリ見ていた

人が多いと思うのですが、

自分は少しカープファンになるのが遅く、

緒方の現役時代というのは知りません。

 

自分の中では、緒方といえば監督。

 

カープ4人目の優勝監督として、

3年間のカープ黄金時代を

率いました。

 

ただ、今回はもちろん、

緒方の現役時代のことも、

頑張って書いていこうと思います。笑

 

 

 

しかし緒方って、めちゃめちゃ

凄い選手ですよね。

 

例えば、今広島に住んでいる人は、

カープのことに興味が無くても、

菊池と大瀬良くらいは

名前を聞いたことがあるんじゃないかなと

思うのですが、1990年代後半の

緒方というのがまさに、

そういう存在です。

 

男前だし、とても華のある

選手だったんだろうなと思います。

 

この時期のカープといえば

野村、緒方、金本、前田、江藤の

5人は間違いなく中心選手だったの

ですが、中でも1番華のある選手が

緒方だったのだろう、と。

 

 

なんと言ってももう、走攻守全てが

トップレベルですからね。

 

1995年から97年まで3年連続で盗塁王

 

98年に足を怪我してからは

盗塁の数は減ったのですが、

それを機に、より長打を打てるよう

打撃を改造した。

 

現役23年間でホームラン20本以上を

6度記録し、守備でも95年から99年までは

外野手としてゴールデングラブ賞

5年連続で受賞している。

 

走攻守全てでカープを牽引しました。

 

99年にはFA権を取得し、

巨人・長嶋茂雄監督から熱烈な

ラブコールを受けながらも、

カープ一筋を貫きます。

 

緒方を担当した村上孝雄スカウトの

「広島でもう一度、チームを優勝させて

みてはどうだ。選手が揃った巨人で

優勝して喜べるか?」という言葉も、

カープ残留の理由の1つとなりました。

 

 

長年カープを支えた緒方でしたが、

2006年にブラウン監督が就任した

あたりから、怪我や若手の台頭などで

徐々に出番が減っていきます。

 

2007年には現役引退も考えていた

ようですが、コーチ兼任で現役を

続行し、2009年まで現役を

続けました。

 

引退試合では右中間を

真っ二つに割る三塁打

 

三塁にヘッドスライディングをし

ユニフォームが土で茶色く染まった姿は、

まさに緒方のプレースタイルの

象徴だったのではないかな、と思います。

 

 

引退後はコーチに専任し、

外野守備走塁コーチ、打撃コーチなど

様々な役職を経て、2015年から

満を持して監督に就任。

 

そして2016~18年に3連覇を

達成しました。

 

村上スカウトの「もう一度カープ

優勝させてはどうか?」という言葉を、

緒方は監督として実現させたことに

なります。

 

 

現役時代から真面目で気持ちの熱い

選手だった緒方。

 

特に優勝への思いは人一倍強く、

飼い犬に「優勝くん」と名付けるほどの

熱い思いを持っていたのですが、

監督就任1年目はその熱さが

空回りしてしまいました。

 

しかし、それを反省し、

2年目からは選手のやりやすい環境を

しっかり整え、優勝に導いた。

 

とにかく、選手としても監督としても

カープの大大大レジェンドだと

個人的には思っています。

 

選手時代から数えて33年間、

カープ一筋でずっと突っ走ってきた。

 

それが緒方孝市という男です。

 

 

監督時代終盤には流石に疲れが

見え始め、コーヒーを爆飲みして

夜遅くまで映像を見る毎日。

 

対戦相手の情報だったり、

二軍で誰が調子が良いかなど、

寝る間も惜しんでひたすら映像を見て

研究していたようです。

 

かな子夫人も「いつ寝ているのか

わからない」と言っていましたからね。

 

ストレスからタバコも吸いまくり、

お酒で睡眠薬を流し込んで

無理やり寝る。

 

それだけ突っ走ったわけですから、

もう後は評論活動をしながら

ゆっくり過ごすのかなと思っていましたが、

最近、疲れが癒えてきたのか、

どうやら指導者復帰に

意欲を示しているようなのです。

 

もしかしたら、また監督として

ユニフォームを着る緒方の姿を

見ることができるかも?という、

密かな期待を抱いています。

 

どの球団でも良いのですが、

できればセ・リーグの他球団は

やめて欲しいなぁ。。