山口のひとりごと。。

「ひとりごと」ですので、「そんな見方もあるんだな」くらいで流してもらえれば。

なぜ特攻隊は「お父さーん」ではなく「お母さーん」と言って亡くなっていったか

 

選挙期間中に、参政党の神谷さんの

演説を聞いていると、

「子供がお母さんと過ごせる時間を

もっと作れるようにするべきだ」という

話をされていました。

 

今の日本は、夫婦共働きでないと、

なかなか子供を育てるだけの収入を

得られない経済状況です。

 

でも、やはり子供の頃にお母さんの

愛情を充分に受けることが

その子の発育にプラスになるはず。

 

だから、子供がいる家庭に

給付金を配ったりして、

お母さんが子供のそばにいられるような

環境を作っていかないといけないんだ、

というような話だったと記憶しています。

 

 

その中で、神谷さんは

「お母さん」がいかに特別な

存在であるかということを、

特攻隊を例にとって

話をしていました。

 

_特攻隊だって、「お母さーん」って

言って突っ込んでいったわけでしょ?

決して「お父さーん」とは

言わないですよね

 

 

 

確かにそうだなぁ、と思いました。

 

特攻に関するドラマや映画を

見たこともありますが、

その中で若い男性兵士とお父さんの絆、

というのは描かれていません。

 

大抵、描かれているのは

お父さんではなく、お母さんとの絆が

中心です。

 

 

これについて、神谷さんは

「だってお母さんが産むわけだし、

母乳をあげるのもお母さんだから、

お母さんの方が特別です」と言っていた。

 

なるほど、確かにそれはあると思います。

 

でも、戦時中の家庭というものを

想像してみると、他にも大きな要因が

ありそうな気がします。

 

 

 

恐らく、戦力として使われた

若い男性にとって、

お父さんは「あるべき姿」であり、

お母さんは「守ってくれる人」だったと

想像します。

 

まずお父さんが「国を守るために

全力を尽くせ」と言って、

弱音を吐かず、強くあることを教える。

 

その教えを受けて、青年は

「強くあるべきだ」と決心する。

 

そのマインドがなければ、

戦争は成立しませんからね。

 

でも、人間は弱いものだから、

心のどこかには「怖い」「死にたくない」

という気持ちがあるのは当然です。

 

そういう弱さに対して

寄り添ってくれるのが、

戦時中の「お母さん」という

存在なんじゃないかな、と。

 

だから、特攻隊は最後、

「お父さーん」ではなく

「お母さーん」と言って

亡くなっていったのではないか、と

思います。

 

つまり、人間が心を許せるのは、

「弱い部分に寄り添ってくれる人」だよね、

ということです。

 

 

 

※ この投稿をもって、本ブログ「山口のひとりごと」の更新を終了します。読んでくださった皆様、ありがとうございました。

 

買った本を読み切らずに売っちゃうことも多い。

 

自分は5冊の本を買ったとしたら、

ちゃんと読み切るのは1冊です。

 

あと3冊は読みかけのまま放置する。

 

そして残り1冊は、

どうでも良くなって売っちゃいます。

 

 

 

売るなら最初から買わなければいい?

 

そうやって本を買うことに

消極的になっていたら、

新たな視点と出会えません。

 

 

買わずに図書館で借りればいい?

 

いやいや、その本が

「自分のモノになる」ということが

大切です。

 

それに、借りた場合、

〇日までに読まなければならない、

という制約が発生するのも

ちょっと嫌です。

 

自分のペースで読んで、

ゆっくり咀嚼したい。

 

咀嚼する途中で「これは

面白くないな」と判断したら

売ればいい。

 

お金の無駄になったって

いいんですよ、別に。

 

無駄は人生の肥やしですから。

 

好きなテレビ番組遍歴

 

【幼稚園】

・おかあさんといっしょ

・戦隊シリーズ

・ロボットパルタ

 

【小学校低学年】

・志村どうぶつ園

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・黄金伝説

・どうぶつ奇想天外

・爆笑問題のバク天!

 

【小学校中学年】

・エンタの神様

・レッドカーペット

・黄金伝説

・IQサプリ

・ネプリーグ

・はねるのトびら

・ダーウィンが来た

・どうぶつ奇想天外

・ポケモン

・ドラえもん

・クレヨンしんちゃん

・ドラゴンボール

 

【小学校高学年】

・ヘキサゴン

・ザ・ベストハウス123

・レッドシアター

・イロモネア

・ひみつの嵐ちゃん

・SMAP × SMAP

・ナニコレ珍百景

・リンカーン

・鉄腕DASH

・魔女たちの22時

・ドラえもん

・クレヨンしんちゃん

・中井正広のブラックバラエティ

 

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【20代中盤】

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・アッコにおまかせ

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【現在】

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・人生最高レストラン

 

本気で怒っている。許したくない。

 

最近あった話です。

 

 

それまで仲が良かったつもりの人と、

車でちょっと遠くまで外出していました。

 

その人が運転で、自分は助手席。

 

すると、普通の会話をしているときに

突然言いがかりをつけられて、

「楽しむ気がないなら、帰る?」と

言われました。

 

意味がわかりません。

 

 

まぁ、そこまで山道を

運転してくれていましたから、

運転に疲れていて、

その腹いせで攻撃してきたのだと

解釈しています。

 

彼は彼で言い分があるかもしませんが、

それは言い訳です。

 

これまでもこういうこと

ありましたからね。

 

彼は何でキレるのか全く

わからなくて、でも彼には彼の

思いがあってそうなっている。

 

だから、その特性を

理解してあげればいい…

 

そういう付き合い方を

これまではしていましたが、

しかし、そうしてもらうことを

当たり前だと思っているんでしょうね。

 

こっちはずっと辛抱しているし、

傷ついてるのに。

 

なので、今回の件は

どんな理由があったとしても、

自分は許せないです。

 

 

要は彼がやっていることは

「腹いせ」で、乱暴なことを言って

気を晴らしてやろう、と。

 

それはつまり、

こっちは人間扱いをされて

いないということです。

 

サンドバックみたいな

扱い方をされたんですよ。

 

なんか腹が立つから殴ってやろう、と…

 

 

まぁ、実際の暴力ではなく

「言葉の暴力」なんですけど、

「帰る?」なんて言われる筋合い

全くないからね。

 

マジで耳を疑ったし、意味わかんない。

 

楽しむ気ないとか、本当に酷い

言いがかりですよ。

 

「楽しむ気あるなら〇〇してくれるはず」

っていう押し付けでしかないですから。

 

こういう「人間扱いをされてない」

ということを、

許しちゃいけないと思っています。

 

自分は感情を持った人間ですからね。

 

乱暴なこと言われたら傷つくじゃ

ないですか。

 

そういうのを何も考えずに

口から出まかせで発言している。

 

それも、1回目じゃないですからね。

 

これまでもずっと辛抱してきてるん

ですよ。

 

そういうことに気づいてないわけですね。

 

当たり前だと思ってるんですよ、

こっちに我慢させるということを。

 

彼は王様なんでしょうか。

 

「今日のあの言動は許さないから」

って言って、理由も説明しましたけど、

「自分の気持ちしか考えてないじゃん」って

言い返されました。

 

どっちが言ってんの?笑

 

笑わせんな。

 

そんなこと言われたらもう、

やってらんないですわ。

 

友達でも家族・親族でも関係ない。

 

そんな奴とは付き合わない。

 

そうするに限ります。

 

怒りを通り越して呆れてるし、

顔も見たくないですね、普通に。

 

本気です。

 

本気でもう、関わりたくありません。

 

意味わかんないから、マジで。

 

どんな理由があったとしても、

言っていいことと悪いことがあるでしょ。

 

許さない。

 

土下座しても絶対に許さない。

 

【政治】「武力」と「対話」はどちらかではなく、両方重要

 

「週刊金曜日」という左派系雑誌の

一般の人の投稿記事で、

「武力より外交による対話が必要」という

タイトルのものがありました。

 

あくまで「理想論ではあるが」と

前置きしながらも、

概ねタイトル通りの主張をしていて、

「人類の歴史をみると、領土を広げる

ためや資源を手に入れるために

権力者は国民の命を犠牲にしてきた」

と書いてあります。

 

 

でも、今の日本が「領土を広げる」とか

「実力で資源を手に入れる」なんて

思っていないですよね。

 

防衛費を増やしているのは

あくまで自衛のためです。

 

 

「武力より対話が重要」って

言う人がよくいるんですけど、

武力と対話は、

どちらかではなく、

どちらも大切です。

 

日本政府は、

武力を強化しているからといって

対話を疎かにしようとしているわけでは

ないでしょう。

 

 

当然、まずは対話による外交が基本。

 

しかし、そこには軍事力が

なければ対話も成り立たなく

なってくる、という話です。

 

 

のび太がどんなに対話を

求めたって、ジャイアンは

言うことを聞かないですよね。

 

なぜなら、ジャイアンは

のび太が殴り返してこない、と

わかっているから。

 

のび太が何か言ってきたら

「うるせぇ、ぶん殴るぞ」と言えば、

もうそこでジャイアンの勝ちに

なるわけです。

 

のび太がジャイアンに

逆らわなければ、

暴力は発生しないでしょう。

 

だけど、それを「平和」と

言えるのか?というのを

考えないといけません。

 

だってそれは、

国と国に置き換えて考えてみると

「属国」になるということなので。

 

 

 

習近平は、

政権批判した国民を罰したり、

特定の部族を弾圧したり、

つまり人権を大切に

していない。

 

それが中国という国である、と。

 

日本がその属国になるっていうのが

本当に「平和」なのか?と。

 

例えば習近平に

「尖閣諸島をよこせ。さもなくば

東京にミサイルを打ち込むぞ」と

言われたときに、ちゃんと毅然と

対応できなきゃいけないですよね。

 

そこで、もし日本の軍事力が

充分でなかったら、

白旗をあげるしかなくなる。

 

でも、日本がちゃんと軍事力を

備えていれば、

「そんなことしたらどうなるか

わかっていますか?」と

言い返すことができる。

 

のび太がジャイアンと同じくらい

強くなることで初めて、

対等に会話ができるということです。

 

そうやって、

対等にやり取りができるというのが

本当の「対話」だと思うので、

だからこそ対話と軍事力は

車の両輪のようなもので、

どちらが欠けても

「平和」は実現できません。

 

家族旅行で楽しいと思ったことは少ない。

 

今日はいつもより長文になるかと思います。

 

長々とした「言い訳」を

書いていこうかと思います。笑

 

 

家族旅行というテーマなのですが、

家族旅行と言いますと、

いろんな場所に行った記憶があります。

 

自分が小さい頃に行った

岡山の鷲羽山ハイランドや

おもちゃ王国、長崎のハウステンボス。

 

小学校高学年になると、

当時恐竜が大好きだったから

いろんな県の博物館に行きました。

 

奥出雲だったり徳島だったり

いろんなところに連れて行って

もらいましたが、1番印象深いのは

福井県ですね。

 

福井は恐竜の化石がたくさん

発掘されるということで、

とても大きな恐竜博物館がある。

 

そこに連れて行ってもらったときは

楽しかった。

 

ただ、「楽しかった」というのは

旅行自体が楽しかったというよりは、

単純に博物館を回るのが楽しかったんです。

 

旅行自体は、やはり「車の中で

両親が揉めるだけの行事」という

認識が強くて、あまり楽しかった

思い出はありません。

 

 

その揉め事の間に割って入っても

傷つけられて終わりですから、

自分はひたすら耐えましたよ。

 

ずっとずっと耐えてきた。

 

この気持ちをわかってくれている人は

残念ながら、1人もいない。

 

だけど、自分はずっと耐えてきた。

 

ただ、矛先が弟に向かったときは、

耐えるのではなく、戦いました。

 

自分は弟を守ってきたつもりです。

 

自分が傷つくのはまだ良いけれど、

自分が大切だと思う人が傷つけられるのは

耐えられないので、そこは頑張った。

 

でも、そのうちに、

どんどん自分の意思はなくなって

いったし、感情を感じるセンサーも

壊れていきました。

 

いちいち「辛い」とか「苦しい」とか

「ムカつく」とか思ってても

心が保てませんから、

そういうのを感じる力というのが

衰えていった。

 

その結果、自分が今しんどい、

ということを自分で気づくことができず、

コップの水が溢れて うつ病になりましたよ。

 

酷いもんです。

 

…いや、この言い方だと

「家族のせいで うつになった」

ということになっちゃうかしら?

 

別にそういうことが言いたいわけでは

ないんです。

 

でも、かといって自分のせいでも

ありませんので、とも思う。

 

25歳で自殺未遂しましたけど、

逆にこの環境、そしてこの繊細さで

よく25歳まで頑張って生きましたよ。

 

褒めて欲しい。

 

まぁ、自分で背負う必要のない荷物を

わざわざ背負わなくていいはずですから、

ここはそういう言い方に

させてください。

 

 

 

そんなこともあって、

自分は1人で出かけるのであれば

お気楽に楽しめるのですが、

人と一緒だとやっぱり気を使うし、

自分のことはどうでもいいから

とにかく相手に楽しんで欲しい、

という気持ちになる。

 

だから1人暮らしとか1人ドライブとかが

好きだったりして、

人と一緒にどこかへ行くのももちろん

楽しいんですけど、悪い言い方をすれば

「どうでもいい」と思っているのも

まぁ、否めないかなと思います。

 

楽しいのも本当だし、

どうでもいいのも本当。

 

どうでもいいとはどういうこと?って

思われるかもしれません。

 

なんというか、旅行や観光というものを

純粋に楽しめるような気持ちは

もう失っていますから、

どこに行って何をする、とかは

なんか、どうでもいいのです。

 

「桜を見に行こうよ」と言われれば

別にそれでもいいし、

「水族館に行ってみようよ」と言われれば

まぁ、それでもそれなりに楽しいでしょう。

 

自分が楽しむというよりは、

一緒に行動する人が

行きたい場所について行って、

その人が楽しんでいる時間を

共有するというところに喜びを

感じたりする。

 

 

ただ、それを客観的に見たときに

「こいつ本当に楽しんでるの?」と

見られてしまうこともあるんだと思います。

 

1回、後輩と飲んでいるときに、後輩に

「旅行とか行ってもいいですよね」

と言われたものだから、

「まぁ、行くのはいいんだけど、

俺と行っても楽しくないかもよ」と

返しました。

 

つまり、例えば大阪に旅行に行って、

道頓堀を楽しんだ後に

「次どこ行きますか!」と

言われても「うん、まぁどこでも」としか

言えない。

 

そういうところで

「この人本当に楽しんでくれてるのかな?」

と相手に思わせてしまう、という

残念な特性があります。

 

でも、楽しんではいるんです。

 

楽しくないわけではありません。

 

「自分の意思よりも、相手の要望を

受容する」というのは、

小さい頃から積み重ねてきた

自分の生き残り戦術だし、

それによってそもそも“自分の意思”が

削がれていってしまった、というのは、

今さら自分の力でどうにか

できることでもない。

 

まぁ、自分ではやる気あるつもりなのに

「お前やる気あんのか!」と

見られてしまう、なんていうのは

学生時代からずーっとそうなので、

もう、仕方ないのでしょうね。

 

そこに傷ついた時期もありますけど、

もういいよ、別に。

 

 

だから、例えば友達と飲みに

行くことになりました、というときに、

店選びなんて自分にはできません。

 

どうしても店選びとか

一緒に出かけたときの時間割とかは

相手に任せた方が楽。

 

そこで任せきりになっちゃうことで、

迷惑をかけたり、嫌な思いを

させていることもあるかもしれません。

 

でも、できないものはできない。

 

それが嫌だと思われるんだとしたら

まぁ誘われなくなるでしょうから、

それを受け入れてくれて

誘い続けてくれる人が

本当の友達、ということになります。

 

 

 

そういえば、去年の誕生日、家族で

尾道に行こうということになりました。

 

自分は正直「行きたくない」という

気持ちも強かった。

 

誤解して欲しくないのは、

「面倒くさいから行きたくない」とか

「つまんなそうだから行きたくない」って

いうわけではありません。

 

行ったらまぁ、楽しいだろうし、

実際尾道に行って楽しくて、

弟にトートバックも買ってもらって、

それを未だに大事に使っています。

 

だけど、じゃあ尾道で自分が

何をしたいか?というところで、

別に自分の意思は存在しない。

 

となると、「あなたのための

お出かけなのに、なんであなたが

熱心じゃないの?」と

なるじゃないですか。

 

だから、楽しくないわけじゃないけど、

どこかモヤモヤした旅になりがちなので、

行かない方が良いんじゃないかな、なんて

思ったりしました。

 

でも、そこで断るだけの理由もないし、

自分のために「行こう」と言って

くれてるのだったら

まぁ、行きたいという気持ちもあるし…

 

そんな複雑な心境の中で尾道に

行ったわけです。

 

正直、そんなのばっかりです。

 

 

 

それが結局周りの人の楽しさを

奪うことに繋がるのであれば、

やはり行かない方が良いんでしょうね。

 

これからはちょっと、

家族旅行とか友達と旅行なんていうのは

基本、断った方が良いのかもしれません。

 

相手が全部しおりを作って

くれるのであれば、

たぶん100%楽しめます。

 

だけど、お互いに意見を出し合って

プランを作って行くということであれば

たぶん、温度感が合わないから、

相手もムカついてくるのでしょう。

 

温度感が合わない人と

出かける必要もないでしょうから、

これからはちょっと、

旅行とかは遠慮しておこうかなぁ、と

思います。

 

その方が懸命でしょう。

 

自分は、孤独であるべき人間です。

 

1人で生きます。

 

「どう思われているか」という不安

 

自分がどう思われているのか?という

不安は、自分という人間の価値を

他人に決めさせているから

発生するんだと思います。

 

他人に良いと思われているから

自分に価値があるのであって、

他人に良く思われていなかったら

自分の価値がなくなってしまう。

 

そういう思考回路なんですよね。

 

 

でも、他人にどう思われるか?を

自分がコントロールすることは

できないんですよね。

 

同じものを見ても、

人によって見え方が違う。

 

同じ映画を見ても、

☆5をつける人もいれば

☆1をつける人もいる。

 

見方って本当に人それぞれだから、

他人の評価なんて当てにならない。

 

 

他人に妥協することで

揉め事を回避するのも大切なことですが、

他人に妥協したあとで

改めてよく考えてみると、

「やっぱり自分が思ったことの方が

正しかったんじゃないか」って

思いませんか。

 

「自分の意見」って案外、

正しいんですよね。

 

だから、他人に自分の価値を

決めさせるんじゃなくて、

自分で自分を正当に評価することの方が

大切のような気がします。