山口のひとりごと。。

「ひとりごと」ですので、「そんな見方もあるんだな」くらいで流してもらえれば。

ブラウンがなぜカープの監督になったか知ってる?

カープは緒方監督のもと、

2016年に優勝したわけですが、

その前の優勝はというと

1991年まで遡ります。

 

そのときは、山本浩二監督でした。

 

しかし、その後の成績を見てください。

 

92年:4位(山本監督)

93年:6位(山本監督)

94年:3位(三村監督)

95年:2位(三村監督)

96年:3位(三村監督)

97年:3位(三村監督)

98年:5位(三村監督)

99年:5位(達川監督)

00年:5位(達川監督)

 

なんかチームが弱くなっていっているのが

お分かりでしょうか。

 

98年~00年まで、3年連続で5位。

 

このままではいかん!ということで、

チームの再建は

前回の優勝監督である山本浩二氏に

託されることになりました。

 

しかし、残念ながらチームの成績は

一向に上向くことはありませんでした。

 

2005年にはついに、最下位転落。

 

ミスター赤ヘル山本浩二でさえも

チームを建て直すことは

できなかったのです。

 

 

すっかり弱小球団となってしまった

チームの再建を、誰に託せばいいのか…

 

カープ球団は悩みに悩みました。

 

その結果出た発想というのが、

「外国人監督」でした。

 

そのくらい思い切ったことをしないと、

チームに新しい風は吹かないのではないか。

 

そう考えたわけです。

 

 

 

そこで白羽の矢が立ったのが、

ブラウン氏です。

 

ブラウンは1992年~94年に

カープの助っ人外国人として

プレーしていました。

 

3年間で計50本のホームランを

打っています。

 

1996年に現役引退してから、

アメリカのマイナーリーグ

監督を務め、2004年に

マイナーリーグ最優秀監督賞を

受賞するなど、監督としての

手腕が評価されています。

 

さらに、自分が監督を務める

マイナーリーグのチームから

カープへ助っ人外国人を送り込むなど、

カープとの繋がりを持ち続けていた。

 

まさに、新監督として適任だったのです。

 

 

 

こうして2006年から

カープを指揮したブラウン監督。

 

4年間の監督生活で

多くの若手選手に経験を積ませました。

 

選手と積極的にコミュニケーションをとり、

自信を持ってプレーさせることで

経験値を積み、成長させる。

 

そういう、外国人監督ならではの方法で

若手を育成していったわけです。

 

2008年には、あと一歩でCSという

奮闘ぶりを見せ、

「CSに進出すれば契約更新」という

条件で2009年シーズンを迎えましたが、

残念ながら5位に終わり、

チームを去りました。

 

 

その後、野村監督のもとで

初めてCSに出場、

そして緒方監督で優勝、という

流れになるのですが、

優勝にあたっては、

ブラウン監督時代に育った選手が

チームの精神的支柱のような役割を

担ってくれました。

 

小窪、赤松、天谷。

 

この辺りの選手は、

ブラウン監督が才能を信じて

使った選手です。

 

そういう選手たちが陰ながら

25年ぶりの優勝に貢献して

くれたわけですから、

ブラウン監督が果たした役割は

大きかったんじゃないかなと思います。