先日、原爆ドーム前を歩いていて、
みんな随分一生懸命、
いるんですね。
その後、自分は平和公園に行って、
慰霊碑に合掌しようと思って
並んでいました。
結構な人が並んでいたのですが、
これ、祈りを捧げようと思って
並んでいる人ばかりでは
無かったんですよね。
ほとんどの人が、慰霊碑越しに見える
原爆ドームの写真を撮りたくて
並んでいるわけです。
すごく悲しいことですよね。
1945年8月6日、広島では普通の
暮らしをしていた人たちの
尊い命が奪われました。
学校に行く人、仕事に行く人、
いろんな日常を送る人がいる中、
原子爆弾が落とされ、
爆風に襲われ、皮膚がただれ、
声にならない声をあげながら
亡くなっていった。
原爆ドームというのは、
残すのか撤去するのか、という
議論が起きた時期もありました。
原爆ドームを残すことで、
心の傷が残っている被爆者に
原爆を思い出させてしまうんじゃないか。
そういう意見もあったようなんですが、
でもやっぱり、この出来事が
色あせてしまってはいけないよね、と。
原爆の記憶をずっと残すためにも、
保存した方が良いよね、と
いうことになって、今もあの場所に
原爆ドームがあるわけです。
そして、原爆によって亡くなられた方で、
今も広島のようすを空から
見ている人はたくさんいると思います。
そういう人が、原爆ドームの前で
何も感じず、写真を撮って
満足するような現代人を見て、
どう感じるか。
ふと思い出したのですが、
先日の能登半島地震で
津波警報が出された際、
テレビでアナウンサーが
「逃げて!」とかなり感情を出しながら
避難を呼びかけました。
ところが、それを見て
バカにするような人も一定数
いるわけです。
自分たち世代は、13年前、
鮮明に脳に焼きついていると思います。
あのアナウンサーの呼びかけを
正しいと思えるかどうか。
それは、「津波の被害があった」と
いうのを出来事としてしか
知らない人と、
本当に被災者に思いを馳せている
人の差なんだと思います。
なので、災害やあらゆる歴史的な
できごとを、「出来事」として
知ることよりも、本当に大切なのは、
そこに何を感じるか、ですよね。
それは、原爆も同じで、
「原爆が落とされた」という出来事を
知ることよりも、
そのできごとに何を感じるか。
それを思うと、原爆ドームが
「写真スポット」と化していることは
残念なことだなぁと思うばかりです。