山口のひとりごと。。

「ひとりごと」ですので、「そんな見方もあるんだな」くらいで流してもらえれば。

死生観

 

先日、おばあちゃんが亡くなりました。

 

いつ会っても元気なイメージしかなくて、

面白い話をたくさんしてくれる

おばあちゃんでした。

 

毎日バスでショッピング施設に通い、

買い物を楽しみながら施設内を

散歩する。

 

で、一人暮らしなのですが、

毎日家で料理を作って

過ごしていました。

 

健康に人一倍気を使っていて、

糖分や塩分を摂りすぎることもないし、

コロナが流行った時も本当に

感染対策を徹底していました。

 

そんなおばあちゃんが、

突発的な病気で突然、亡くなった。

 

亡くなる直前まで、

普通に生活をしていたんじゃないかなと

思います。

 

最初は本当に信じられない、という

気持ちが大きくて、

なんかわからないけど、

また会えそうな気がしていたんです。

 

でも、1週間くらい経ってから、

だんだんと「もう会えない」ということを

実感し始めて、寂しい気持ちが

強くなっていく。

 

一昨日・昨日とおばあちゃんが通っていた

ショッピング施設に行ってみたのですが、

元気に歩いているおばあちゃんの姿を

思い出して、本当に寂しい

気持ちになりながらも、

「ここでおばあちゃんと一緒に

買い物をしたなぁ」と、

思い出を振り返って、

ちょっぴり幸せな気持ちにも

なったりしました。

 

 

亡くなる2ヶ月前くらいに、

たまたまそのショッピング施設で

おばあちゃんに会って、

一緒にご飯を食べたんですよね。

 

そのときもたくさん話を

してくれた。

 

そして、当時新しい仕事を

始めたばかりだった自分に対して

「無理しないようにね」と言ってくれた。

 

それからパンとお菓子を

買ってくれた。

 

そんなことを思い出しました。

 

 

 

身近な人が亡くなると、

どうしても後悔が残ります。

 

「もっと会っておけば良かった」

「もっと連絡しておけば良かった」

「あの時、ありがとうと伝えておけば

良かった」

 

そう思わずにはいられない。

 

 

忙しいと言い訳をして、

家族や身内に会う時間を作らない。

 

これはもう、人間の情けなさというか、

本当にどうしようもないことです。

 

いつでも人は、会えなくなって

初めて後悔をするものです。

 

 

しかし、これは前にもブログに

書いたことがあると思うのですが、

人っていうのは、

肉体は死んでも魂はずっと

生き続けます。

 

それが、自分なりの死生観です。

 

だから、おばあちゃんは今も

生き続けている。

 

自分たちがお墓や仏壇に手を合わせる

姿とか、「あのときおばあちゃんと

こんなことしたよね」と思い出話を

しているところとかを、

きっと見てくれています。

 

「おばあちゃん、本当にありがとね」

「たくさんお話できて楽しかったよ」

「あの時、あんなことしたね」

 

そんなことを想いながら

過ごすことで、きっと

おばあちゃんに気持ちが伝わる。

 

そう信じることが

大切なんだろうと思います。

 

 

 

それと、亡くなった人は、

いろんな煩悩や余計な心配事から

解放されます。

 

人一倍健康に気を使っていた

おばあちゃんも、今はきっと、

「健康に気をつけないといけない」という

不安な気持ちから解放されて、

穏やかな気持ちで過ごして

いるでしょうね。

 

 

おばあちゃんに対して、

人によって、いろんな捉え方がある。

 

「健康に気をつけていたのに、

こんなことになって可哀想」という

捉え方もあるし、

「こうなるなら、健康に気を使い

過ぎずにもっと楽しく過ごせば

良かったんじゃないか」という

捉え方もある。

 

いろんな捉え方があるんですけど、

個人的に思うのは、おばあちゃんは

おばあちゃんなりに、楽しく、

幸せな人生を過ごしたんじゃ

ないかなと思っています。

 

いろいろ上手くいかないこととか

ムカつくこととか心配事とか、

生きている間はあったことだろうとは

思います。

 

特に、心配事っていうのは

尽きることが無かったんじゃないかな。

 

でも、それでも、改めて振り返ると、

100点満点の人生だったなぁ、と

きっと思ってるはずです。

 

行き帰りのバスでいろんなことを

考えたり、ショッピング施設内の

スタバでお茶を飲みながら

いろんなことを考えたり。

 

そうやって、おばあちゃんは

おばあちゃんなりに、

楽しく毎日を過ごしていて、

少なからず、毎日毎日、

幸福感を感じていたんだろうなぁ、と。

 

自分はそのように想像しました。

 

 

ただ、おばあちゃんはいつも

元気に見えるけど、その反面、

すごく心配性です。

 

だからこそ、健康に気を使って

いたんだと思います。

 

きっと、食事や運動に気をつけずに

過ごしていたら、

「今日はこんなに塩分摂っちゃったわ。

大丈夫かしら…」と、1日の終わりに

すごく不安な気持ちになるような

毎日になっていたんじゃないかと

思うんですよね。

 

そういう不安を払拭するためにも、

毎日毎日、食べるものにも

気をつけていた。

 

それが、おばあちゃんの生き様です。

 

おばあちゃんなりに楽しく生きるために

必要なことだったんだろうなぁと

思ったりもします。

 

だから、結果がどうということではなく、

ただただ最後までおばあちゃんらしく

生きていたということですよ。

 

「健康に気をつけていたのに

こんなことになって可哀想」と言ったら、

きっとおばあちゃんは

「毎日楽しかったわよ。曾孫の顔まで

見られて、充分私は幸せだったわよ。

可哀想だなんて、失礼だわ」と

言うんじゃないかなぁ。

 

健康に気をつけていたからこそ、

最後まで楽しく生きることができた。

 

そういう考え方をしてあげるのが

1番良いんじゃないかな。

 

それが、おばあちゃんに対する、

敬意を込めた自分なりの捉え方です。