山口のひとりごと。。

「ひとりごと」ですので、「そんな見方もあるんだな」くらいで流してもらえれば。

カープレジェンドについて知ろう【山本浩二】

 

カープファンであれば、

カープの歴史を築いてきた

レジェンドについて、

ある程度知っておくべきだと

思っています。

 

そこで、自分の知識を向上する意味も

こめて、レジェンド選手たちについて、

実績や、カープの歴史の中でその人物が

どういう影響を与えたか、について

まとめて書いていきたいと思います。

 

今回は、カープのレジェンドといえば

この人、山本浩二についてです。

 

 

山本浩二がどのくらい凄いか。

 

1つ、わかりやすい指標としては、

通算本塁打数ですよね。

 

1位 王貞治 868本

2位 野村克也 657本

3位 門田博光 567本

4位 山本浩二 536本 ←

5位 清原和博 525本

6位 落合博満 510本

7位 張本勲 504本

 …

10位 金本知憲 476本

11位 田淵幸一 474本

 …

15位 長嶋茂雄 444本

16位 秋山幸二 437本

17位 小久保裕紀 413本

 …

22位 原辰徳 382本

 …

 

通算本塁打数上位の選手と、

金本、長嶋、原など、スター選手の

通算本塁打数を並べてみました。

 

長年巨人の4番を務めた原辰徳

382本、連続フルイニングの記録を

作った金本知憲が476本ですが、

山本浩二は536本。

 

この本数がかなり凄いものであると

いうのがなんとなく、

わかるのではないかと思います。

 

しかも、1位の王と2位の野村は

高卒ですが、山本は大卒でこの数字。

 

つまり、王や野村よりもプロ入りが

遅かったのに、これだけの本塁打数を

積み上げたということです。

(3位・門田は社会人からプロ入り)

 

とにもかくにも、山本浩二

日本のプロ野球の全選手の中で、

4番目に多くホームランを打った

選手である、ということです。

 

凄いことですよね。

 

しかも、1972年から1981年まで

10年連続でダイヤモンドグラブ賞

(現在のゴールデングラブ賞)を

受賞している。

 

主に「4番センター」が定位置でしたが、

打撃でも守備でも長年、

カープの中心であり続けたという

わけです。

 

 

引退後は1989年から監督を務め、

1991年に優勝。

 

カープ2人目の優勝監督と

なりました。(カープの優勝監督は

古葉竹識山本浩二阿南準郎

緒方孝市の4人)。

 

 

その後、一旦監督を退きますが、

カープが低迷していた2001年に

再び指揮を執り、再建を託されます。

 

その時は、5年間でなかなかチームは

勝つことができませんでしたが、

第2次山本浩二政権の1番の収穫は、

なんといっても新井貴浩

4番打者に育てたことだと思います。

 

ドラフト下位で入団し、

当初はさほど期待されていなかった

新井を辛抱強く育てた。

 

そのことは今の、新井監督の

若手育成にも生きていると思います。

 

これこそが、カープの歴史の

継承だと思うのです。

 

 

 

2013年には、WBC侍ジャパン

監督も務めました。

 

カープの顔のみならず、

「日本プロ野球の顔」とも言える存在。

 

そのくらい、偉大な人なのです。

 

なんか、解説者としてテレビ出演

している様子を見ると、

和やかな人なのであまりレジェンド感を

感じないかもしれませんが(褒め言葉です)、

実はめちゃくちゃ偉大な人なんだと

いうことは知ってもらいたいですね。