山口のひとりごと。。

「ひとりごと」ですので、「そんな見方もあるんだな」くらいで流してもらえれば。

なんでもないよ、

 

自分は、たまーに「怒り」という

感情を持つことがあります。

 

そのときに、それを上手く伝えられたら

良いんですけど、なんせ自分は

怒ることが上手じゃなくて、

大抵自分の気持ちを上手く伝えられず、

「なんで怒ってんの?」っていう感じで

終わっちゃうんですよね。

 

ブログに文章を書くことは

自然にできるのに、

口で言うのは難しい。

 

不思議なものです。

 

口で上手く言えないので、

自分は「怒り」という感情を持ったとき、

何も言わずに自分の中で消化することが

多いです。

 

なんか、マカロニえんぴつの歌詞と

似たような状況になっちゃうんですよね。

 

 

マカロニえんぴつの「なんでもないよ、」

という歌は、恋人への気持ちを

上手く伝えられず、最終的に

「なんでもないよ」って言ってしまう彼、

というようなストーリーですよね。

 

「怒り」と「恋心」という

感情の違いはあるんですけど、

自分はこの「なんでもないよ、」の歌詞に

共感します。

 

特に「何でもないよ」というフレーズの

直前のフレーズが良い。

 

「そんなんでもなくて、ああ

やめときゃよかったな」とか、

 

「なにがいいたかったっけ」とか。

 

これはまさに、自分が怒りという感情を

相手にぶつけているときに、

必ず抱く感覚です。

 

自分でも何が言いたいのかわからなく

なってきて、上手くまとまらず、

相手に「何言ってんの?」と思われるのが

オチなので、「言うのやめときゃ

良かったな」となってしまう。

 

そのような経験をたくさん

してきたもので、自分はどうも、

自分の気持ちを相手に伝えると

いうことを諦めてしまう

クセがついています。

 

言っても理解されないなら、

言わない方がいいよね、という。。。

 

「困ったことがあったらなんでも

言ってね」って言ってくれる人もいますが、

言ったところで、結局上手く言えなくて

変な感じになるだけなんですよ。

 

だったら、怒りを感じたときに

自分の中でスーッと消化していく、

という「悟り」のような感覚を

手に入れる方が自分には合ってるかなと

思ったりします。

 

そういうことをしているうちに、

自分は大抵のことは許せるように

なったし、そもそも「自分の気持ち」を

自分で感じることが難しく

なってきた。

 

喜怒哀楽のセンサーが壊れて

しまったんです。笑

 

自分で自分が今、怒っているのか

悲しいのか楽しいのか、

よくわからないことがあります。

 

それは、いちいち感情を抱いていたら

無駄だ、というような学習を

自分の脳がしちゃっているんだと思う。

 

まぁ、仕方ないですね。

 

自分の場合、「なんでもないよ、」

ではなく「なんでもないよ。」の方が

的確かもしれません。