山口のひとりごと。。

「ひとりごと」ですので、「そんな見方もあるんだな」くらいで流してもらえれば。

大学生の頃に書いた文章。その①「ゼミ活動」

自分はゼミ活動は協力しないと

できないものだと思う。


研究自体は個々でやることだけど、

お互い教え合ったり支え合ってこそ

成り立つものだ。



自分なんかも「研究何やってるの?」とか

聞かれて「魚を解剖しててね…」とか言うけど、

その魚はゼミのメンバーが育てたもの。


自分はそれを使わせてもらっている。


そうやって物や生物を使わせてもらうのも

そうだし、あとは教え合いも重要だ。


特にウチのゼミなんかはあまり

先生に詳しく教えてもらえないので、

ゼミのメンバー同士の教え合いは不可欠。


それがなきゃやっていけない。



また、頑張って研究している分すごく

しんどかったりもするが、それも

ゼミのメンバー同士で支え合っている。


「やー、もう研究やってらんねーわ」って話を

うんうんって聞いてくれる人がいたり、

「ぐっち最近頑張ってるね」って言ってくれる

人がいるからこそ、また頑張れる。


研究としては個人でやっているが、

周りな人がいなきゃやってこれなかったと

心から思っている。




それだけに、周りの人への感謝の気持ちは

すごく大切だ。


3年生なんかは、先輩について

教えてもらう立場。


自身の研究も忙しい中、わざわざ

時間を割いてやってくれているんだから、

感謝の気持ちを持たないといけない。


自分らが3年生のときはろくな先輩がおらず

ほとんど何も教えてもらっていない。


それで大変な思いをしたというのも

あるので、後輩にはそうなって欲しくないと

思って、丁寧に教えている。



そこに対して、自分の都合とか機嫌で

拒否する権利なんてないし、

先輩が自分のために時間を使って

くださっているのだから、

感謝しなければならない。


やり方がどうとかは関係ない。


とにかく、「自分のためにやってくれる」と

いうことに対しての感謝が重要だ。


どれだけ勉強ができるエリートでも、

そこがわかっていなければ話にならない。


みんなで助け合って成り立っているのが社会。


だから、勉強できる人もできない人も

運動できる人もできない人も

器用な人もそうでない人も、

全ての人が平等でなければならない。


嫌いな人だってもちろんいる。


しかし、仲間というのは結局

嫌いだとしても仲間だ。


嫌いな奴でも、同じゼミの仲間として

何か困ったことがあれば結局

助けるもの。


だからこそ、嫌いだとしても尊敬の部分は

なければならないと考えている。


ゼミのメンバーにかけられる迷惑は

1つも迷惑だとは思っていない。


その何倍も助けてもらっている。


ゼミのメンバーはみんな

自分にとって心の支えだ。