山口のひとりごと。。

「ひとりごと」ですので、「そんな見方もあるんだな」くらいで流してもらえれば。

考え方の「芯」を得ると一気に気持ちが楽になります。

 

一昔前の日本だと、

まず儒学や仏教というのが

日本人の心に根付いていた。

 

そして、天皇陛下が多くの

日本人の心の支えとなっていた。

 

こういう古き良き日本の習慣というのは、

日本人の心の大きな支えになっていたと

思うんですよね。

 

それが、日本が戦争に負けてしまい、

アメリカが「日本を二度と戦争のできない

弱い国にするんだ!」って言って

日本を変えちゃったので、

古き良きものが

色あせてしまったんでしょうね。

 

そこから昭和、平成、令和と経て、

今は世の中が複雑すぎて自分を見失う。

 

Aを選んでもBを選んでも

上手くいく気がしない。

 

だから自信が持てない。

 

そんな人が多いような気がします。

 

 

統一教会の問題が明るみに出ましたが、

結局、人は心の拠り所になる何かが

欲しいわけです。

 

だから、宗教という沼にハマってしまう。

 

どうやって生きていけば良いかわからないと

いう人にとって、宗教というのは

最高の心の支えになるんですよね。

 

自分はどうしたら良いのかわからない…

 

その答えを宗教が与えてくれるわけですから。

 

教えを守れば自分は幸せになれるんだ、と。

 

献金を“させていただく”ことで

自分は幸せになれるんだ、と。

 

そう信じることで精神的な安定感を

人は求めているのではないでしょうか。

 

 

まぁ、そこまでガッポリハマってしまっては

ダメだと思いますが、

宗教は1つの選択肢ではあると思います。

 

要は、人は自分の心の芯となる何かを

持たないといけないのです。

 

 

考えてみると、人間っていろんなことを

選択しないといけないですからね。

 

朝、目覚ましが鳴った、と。

 

そこで「起きるのか?二度寝するのか?」

 

「起きたら先ず、歯を磨くのか?

トイレに行くのか?」

 

「朝食は何を食べよう?」

 

「サラダから食べるか?

トーストから食べるか?」

 

「どんな服を着て出かけよう?」

 

人間は1日の中で、数え切れないほどの

「選択」をしています。

 

 

その選択の分岐点で、その都度

「うーん、どっちが良いんだろう…」と

悩んじゃうと、精神が持たない。

 

だから、考え方の芯が必要なのです。

 

ちゃんと自分の中で選択の基準となる

モノサシが確立しているか。

 

それが、考え方の芯なんですよね。

 

 

芯が無いと、「こっちを選んだら

こうなるし、でもそっちを選んだら

誰かに何か言われるし…うーん、

どっちが良いんだろう」と、こうなってくる。

 

考え方が常に状況化してしまい、

非常にフラフラしてしまう。

 

それがすごく心の負担になります。

 

 

Aの選択肢もBの選択肢も

どちらも正しい気がするし、

どちらも間違いな気もする、という場合に

どうするか、ですよね。

 

正しいことは何か、はわかるけど、

AもBもどっちも正しい場合に

どうするの?と。

 

どちらを選んでも上手くいく気がしない、

でも決めなきゃいけない。

 

そこで自信の無さを打破する

何かを得なければいけない。

 

 

それは、とにかく自分の感情を

揺さぶることで少しずつ

得ていくものなのでしょうね。

 

人と話したり、本を読んだり、

映画を見たり、スポーツを見たり、

音楽を聴いたり、良い景色を見たり、

芝居の舞台を見に行ったり、

理科や社会科を勉強してみたり…

 

そうやっていろんなものに触れていく中で、

自分の心にスっと入ってくるものがあれば、

きっとそれが心の木の栄養となり、

幹が太くなっていく、と。

 

そういうことなのだろうと思います。