山口のひとりごと。。

「ひとりごと」ですので、「そんな見方もあるんだな」くらいで流してもらえれば。

宮迫博之の面白さについて。

雨上がり決死隊は、

お笑いエリートの一面もありながら、

苦労人でもあるそうですね。

 

NSCでもエース格だったし、

劇場でもかなりウケていて、

吉本印天然素材”というユニットの

リーダー格を任された。

 

ところが、天然素材のメンバーであった

ナイナイの方が先に売れて東京進出。

 

よく、関西芸人はまず大阪で売れて、

その後東京でも売れなければ

いけない、ということを言われます。

 

“2度売れなければいけない論”

みたいなのがあるんですよね。

 

雨上がりの場合、1度目の大阪での

ブレイクまではトントン拍子で進み、

2度目の東京でのブレイクまでは

時間がかかった、と。

 

 

宮迫さんは、お笑いに命を賭けてると

言っても過言じゃないくらい、

お笑いに対する情熱を持った人です。

 

お笑いよりもアイドル的な活動を

売りにしていた天然素材というユニットに

対して不満を募らせ、

「俺がやりたかったのは、こんなんちゃう!」

と事務所の偉い人と喧嘩をして

天然素材を脱退。

 

そしてそのまま、何の仕事のアテも

無いまま「東京で勝負してやる!」と

意気込んで東京へ進出するんですよね。

 

 

 

すると、山崎邦正さんを介して

初めて松本人志さんと出会う。

 

そこで松本さんに「お前おもろい奴やな」

と気に入られたことで、

ガキの使いに出演することになりました。

 

そのガキの使いで、宮迫さんは

一世一代の勝負に出ます。

 

台本を無視して、ダウンタウン

激しめにイジったのです。

 

当時のダウンタウンは今とは違って、

後輩やスタッフにも厳しい時代の

ダウンタウンです。

 

そのダウンタウンをイジることで、

宮迫さんは世間に強烈な

インパクトを残し、

その度胸とスター性を買われて

東京のテレビ番組に引っ張りだこに。

 

とにかく、宮迫さんはお笑いに対する

情熱とストイックさによって

ここまで上り詰めたわけです。

 

それが、1999年の話。

 

 

 

そして2000年代に入ると、

もう全国的な売れっ子芸人の地位を

確立していきます。

 

「ワンナイ」という番組で

様々なキャラに扮してコントを披露。

 

山口智充さんとのユニットで

歌も大ヒットしました。

 

そして初めての冠番組

アメトーーク!」がスタート。

 

コントとバラエティ番組の

両方で実力が認められました。

 

宮迫さん自身、

「自分がウケたい」という気持ちは

かなり強いと思うんですけど、

一方で東京に出るまでの

苦労した期間もありましたから、

売れるまでの辛さっていうのも

身をもってわかっている。

 

なので、アメトーークに出た

若手芸人に対して、

なんとかウケさせるために

パスを出したりイジったりする。

 

若手世代はワンナイを見て

育っていますから、

宮迫さんへのリスペクトがあるし、

それプラス、アメトーークに出れば

必ず美味しくしてくれる。

 

そうして宮迫さんは芸人界の

兄貴分の地位を確立していった。

 

だからこそ、例の騒動のときには、

多くの後輩芸人が宮迫さんを

フォローしていたんだろうと思います。

 

 

宮迫さんのお笑いは非常に

明るくて、わかりやすいお笑いです。

 

そして、ツッコミの間が

プロですよね。

 

腕のある芸人さんでしたから、

テレビに出れなくなってしまったのは

残念だなぁと思いますね。

 

実際、アメトーークは宮迫さんが

いなくなってから

面白さは半減してしまいました。