山口のひとりごと。。

「ひとりごと」ですので、「そんな見方もあるんだな」くらいで流してもらえれば。

些細なことで病む人もいるのよ。

東大前刺傷事件の容疑者の少年が、

面談で「東大は無理」と言われたことが

引き金になった、という供述を

しているそうですね。


で、その記事を引用して、とある方が

こんなツイートをしていました。




__母の「マニキュアやめなさい」という

些細な注意が引き金で、私は自殺未遂と

失踪と鬱と引きこもりかましたけど、

ぶっちゃけそれまでの積み重ねだった。

思春期なんて些細な一言で気が狂う

地雷地帯と思っている__




他の人が「そんなことで病むなよ」と

思うようなことでも、やっぱり気が狂う

引き金になり得るんですよね。


1つは、心の「辛いことゲージ」みたいな

ものがあるとして、溜まってない人は

少々のことがあっても平気なんですが、

99まで溜まってたら、あと1つでも

嫌なことがあったらもう爆発しちゃう

わけですよね。


結局はそれまでの積み重ねだし、

溜まったものを発散する方法も

学校で教えてくれるわけでもないので、

まだ人生経験の浅い若者なんかは特に、

そのゲージが溜まりやすいんだと思います。



それと、その人が言っている

マニキュアやめなさいという些細な注意、

というのは、別に「マニキュア」というものが

重要なわけではないんですよね、恐らく。


マニキュアを否定されたことよりも、

自分を否定されたこと、の方が

本質のような気がします。


マニキュアを塗ることイコール、

自分らしくいることだと思うんですよ。


それを否定されたっていうのが

辛いんですよね。


だから、それまでも自分のやりたいことを

やって、それを否定されてきたという

積み重ねがあったんじゃないかな、と。


その積み重ねがあった中で

「マニキュアやめなさい」と言われて、

「なんで私をそんなに否定するの?」という

気持ちが爆発して、そんなに否定

されるんだったらもう生きる価値ないよね、

と思ってしまう。


結局は、この方にしろ東大の事件の少年にしろ、

自分の存在価値が見い出せなく

なってしまった、というのが

引き金なんだろうな、と。


だからこそ、みんなが自分らしく居て、

それをみんなで肯定し合うような、

そんな社会にしなきゃいけないんじゃ

ないかな、という風に思います。


それと、学校でも、ちゃんとしなさい、

勉強しなさい、校則を守りなさい、とか

そんなんばっかりじゃなくて、

やっぱり子どもの存在価値っていうのを

高めてあげるっていうことを

大切にして欲しいですね。