大学入学共通テストの会場で
受験生が刺される事件がありました。
もちろん被害にあった方もそうだし、
それ以外の受験者も、
冷静にテストを受けることが
できないんじゃないかな、と。
このテストに懸けて必死に勉強してきた
人たちのことを思うと、
許せない事件だと思います。
で、逮捕された人が言ってるのが、
「勉強が上手くいかなかった。
事件を起こして自分も死のうと思った」
という。。。
どんな自己中なんだよ!って思うし、
やっぱりこういう供述に対しては、
「死にたいなら1人で死ねよ」という
感情が湧いてきますよね。
なんで何の罪もない人が巻き込まれなきゃ
ならないんだ、と。
でも、この感覚っていうのは、
危険な感覚でもあると思います。
何故なら、死にたいなら1人で死ねよ、
というのを言ってしまうと、
本当に死ぬ人が出てきてしまうので。
教育評論家の尾木ママなどが
「それは絶対に言っちゃいけない」
っていうのを提唱してるんですけど、、、
例えば、精神的に追い詰められた人が、
何の罪もない10人の人を殺して
自分も自殺した、と。
そのとき多くの人は
「死にたいなら1人で死ねよ」と
思うわけですが、それは
10人の人を救うための考え方です。
1人の身勝手な犯行で
10人の人が何故死ななきゃならないんだ、と。
一方、尾木ママのような意見っていうのは、
10人を救うよりも先に、
犯人の方を救うことができれば
1人の死者も出さなくて済む、と。
「死にたいなら1人で死ね」論だと
1人の自殺者が生まれてしまうけど、
尾木ママ理論は「1人も死なせちゃダメだ」
という考え方。
よーく考えてみれば、
絶対に尾木ママ理論の方が
正しいはずです。
今回、試験会場で事件を起こした学生。
ニュースで供述内容を見たのですが、
その中で思ったのは、たぶんこの子は
常に強い自分でありたい、という
気持ちがあるのかな、と。
他人より優れて居たい、という
強い欲望というか、
承認欲求みたいなものがある。
だから、成績が伸びないということが、
それでは自分の存在価値がない、くらいの
重いこととして捉えてしまうので、
こういう事件を起こしてしまう、と。
それに対して、理解者がいるかどうか。
理解者がいないからどんどん考え方が
悪い方に行って、最終的に事件を起こすんだと
思うんですよね。
そういう葛藤っていうのをわかってくれて、
「わかるわかる、不安だよね」って
言ってあげて、「勉強なんてできなくても
大丈夫だよ、そのままの君でいいんだよ」
と言ってあげるような人が
周りにいるかどうか。
それによって、今回の事件は
起こらずに済んだんじゃないかなと
個人的には思います。
理解者がいれば、その考えを
正しい方向へ軌道修正してくれるけど、
それをしてくれる人がいないというのが
実は根本だったりします。
自分たちは何の犯罪も犯すことなく
普通に生活ができているけど、
それは、周りの人に恵まれているからです。
自分をわかってくれる人が周りにいて、
自分の考え方を軌道修正してくれる人がいて。
だから自分たちは「普通の人間」で
いられると思うんですよね。
だから、事件を起こすような人でも
そういう人に恵まれさえすれば、
全然悪人にならなくて良い人なのでは
ないか、と。
そう考えると「死にたいなら1人で死ねよ」
というのはちょっと、愚かな考え方です。
「死にたいなら1人で死ねよ」ではなく
「死にたいなら話を聞くよ」という風潮に
社会全体がなっていくことで、
そういう事件で亡くなる人を
増やさなくて済むんじゃないかな、と。