例えば、学校の先生が「勉強しなさい」
という指導をしますよね。
それはつまり、勉強という努力を
しなさい、ということ。
努力は誰にでもできるんだから、
ちゃんとやりなさい、と。
でも、実際努力って誰にでもできることでは
なくて、勉強のやり方をわかってない人は
勉強できないんですよ。
何していいのかわからないのに
「やりなさい」ばかり言われては、
「自分はできない奴」とか「ダメな奴」
という感情ばかり先行してしまう。
そうやっていつも、
子どもの気持ちを考えずに
「頑張りなさい」「努力しなさい」
ばかりの教育をしてしまう。
それが子どもの自信を奪うことに
なっているなんて気づかずに。。。
そうやって自信がなくなっちゃった人を
どう慰めるか?ってときにも、
結局「君はよく頑張ってるよ!」
みたいな話をしちゃうんですよね。
そこにも、努力主義の考え方が
根づいているような気がします。
頑張る=できる奴
頑張らない=できない奴
そういう価値観があるからこそ、
人を肯定しようと思ったときに
「君はよく頑張ってるよ」なんて
言っちゃって。
別に勉強頑張れなくたって存在価値は
あるはずなのに、頑張っているかどうか、を
評価基準にしてしまう。
それはあまり良い傾向とは
言えない気がしてしまいます。