山口のひとりごと。。

「ひとりごと」ですので、「そんな見方もあるんだな」くらいで流してもらえれば。

人は死んだらどうなるか

 

これ、割と前からぼんやりと

考えていたことなんですよね。

 

人は死んだ後、どうなるのか。

 

死んだら全て終わりなのか、

それとも幽霊になるのか。

 

その考え方は個人によっても違うし、

宗教によっても違う。

 

なんせ、「死んだことがある人」は

いないので、確かなことは

何もわかりません。

 

 

 

なので、これは「どう考えれば、

今生きてる人の心が救われるか」という

考え方によって答えを出すべきだと

思います。

 

大切なことは、1つは、どう考えれば

死ぬのが怖くなくなるのか。

 

それと、もう1つは、

身近な人が亡くなったとき、

どう考えれば乗り越えていけるのか。

 

その2つを満たせるような

「死後の世界」を描くのが

良いんじゃないかな、と

思うのです。

 

 

自分は、お寺の住職さんの本だったり、

その他の宗教に関する本を読んでいく中で、

ある程度「死後の世界」について

考えがまとまってきました。

 

まず、人は死ぬと、肉体から

解放されます。

 

肉体から解放されないと、

おかしなことになりますからね。

 

例えば、自分の父は既に亡くなって

いますが、自分が父よりも

長生きした場合、肉体という

要素が残ってしまうと、

自分は父親よりも年上の状態で

あの世で会うことになる。

 

これは、おかしいと思うのです。

 

だから、肉体は火葬とともに

完全に無くなるはず。

 

ただ、肉体以外の要素は

残り続けるのだと思います。

 

考え事をしたり、

何かを感じたり…ということは、

死んでからもずっと継続する。

 

そして、思考や感受性だけが残って、

人の目には映らない

小さな玉(オーブ)になり、

何も無い世界(あの世)を

浮遊するようになるのです。

 

だから、死んでも思い出は残るし、

もしかしたら生きている間の後悔も

残り続けるかもしれません。

 

 

自殺をした人はきっと、

深い後悔の念がずっと残り続けます。

 

「あんなことしなきゃ良かった」と

ずっとずっと後悔し続けるでしょう。

 

そして、オーブになった死後の人間は、

この世に来ることもできます。

 

この世を覗きにきて、

家族が元気かどうか確認することが

できるのです。

 

仏壇やお墓に手を合わせている姿を、

故人はきっと見ています。

 

それで、自分のことを忘れないで

くれているんだな、と嬉しくなるのです。

 

 

 

そういう考え方をすれば、

「死んでも終わりじゃない」と

思えて、死への怖さが和らぐし、

身近な人が死んだ悲しみも、

「今もきっと空から見てくれている」と

思えて、乗り越えることができる。

 

そして、死んだ後も思考や感受性は

継続するということは、

生きているうちに

いろんな経験をして、

いろんなことを学ばないと

いけないということです。

 

これが、自分なりの「死後の世界」です。

 

きっと自分の父も祖父も

亡くなってしまった友達も、

みんな自分のことを見てくれている。

 

だからこそ自分は、その人たちに対して

あなたたちを忘れてはいないよ、

ということを行動で示していかないと

いけません。

 

ずっとずっと感謝を伝え続けなきゃ

いけないし、敬意を示し続けなきゃ

いけないんだろうと思います。

 

そのためにも、お墓参りという行事は

大切にしたいなぁと思います。