山口のひとりごと。。

「ひとりごと」ですので、「そんな見方もあるんだな」くらいで流してもらえれば。

カープ選手のサクセスストーリー〈松山編〉

松山がまず頭角を現したのは
自分がカープファンになってから
すぐのことです。

2011年の5月頃に代打として
一軍に上がってきました。

そして交流戦の西武戦。

当時カープは10連敗とかしていた
記憶がありますが、、、

松山が西武のエース・涌井から
ホームランを打ってヒーローに
なったのをよく覚えています。


松山の「アンパンマン」という
あだ名は、顔が似ているということの
他に、チームを救うヒーローという
意味もあるそうです。

この時のカープは栗原という
絶対的な4番バッターはいたものの
打線が弱かった。

そこを、同期入団の丸とともに
救っていたのが松山でした。




翌年のオープン戦では首位打者に。

ところが、シーズンに入ると
なかなか結果が出ませんでした。

当時松山は主にライトを
守っていましたが、守備は
かなり下手でした。。。

それでも野村監督は
「松山の守備には目を瞑る」と
言って使っていました。

それだけ、打撃に光るものが
あったということてす。

特にこの時期は「飛ばない統一球」の
影響で各球団、打力が落ちていた。

だからこそ、松山が優先的に
使われ、それで育つことが
できたんだと思います。

でも、その打撃で結果の出ない
時期が続いてしまった。

あえなく松山は、
二軍落ちとなってしまいました。



そんな悔しい2012年があっての、
翌2013年。

この年あたりから松山は
常に一軍に居るようになります。

オープン戦からライバルたちと
横一線の勝負をしていましたが、
そこを勝ち抜いて開幕スタメンに。

そのまま、主に右投手のときに
中軸をまかされるようになります。

初の2桁本塁打

もう松山は、打線の中に
欠かせない存在になりました。


以降はもう、ほぼずっと
中軸を担っています。

去年こそ不振だったものの、
通年成績もだいたい安定してきたなと
いう感じですよね。

しかし、1年の中で好不調の
波があることもまた、事実だと
思います。




松山はたぶん、結果が出ている
時期にも常に「レギュラーを
奪われるのではないか」という
不安があると思います。

だからこそ、好不調の波が
できてしまうんだと思う。

でも、今まで松山は不調の時期も
必ず乗り越えてきました。

去年なんかも、開幕当初は
本当に苦しい打席が続いた。

でも終盤にはクリンナップに
しっかり戻ってきた。

松山っていうのはそういう選手です。


そもそも、松山がカープ
指名されたのは2007年のドラフト。

社会人入団ではありますが、
そこから3年間の下積みがあります。

それを経てようやく一軍に
上がった。

それで、守備に目を瞑ってでも
使いたいと言われるほど
期待された。

でも、その期待に答えられず、
二軍に落ちてしまった。


その経験があるから、
松山はどんなにどん底に落ちても
絶対に這い上がってくるんです。

だからこそ首脳陣の信頼もある。

不調な時期も「松山なら絶対に
復活する」って思えるから
使い続けられる。

だからファンとして、松山には
数字以上の信頼をしています。