山口のひとりごと。。

「ひとりごと」ですので、「そんな見方もあるんだな」くらいで流してもらえれば。

【長文】堂林翔太サクセスストーリー

「つないだ!つないだ!日本文理の夏は

まだ終わらない!」



この名実況をご存知でしょうか。


2009年夏の甲子園大会決勝戦

中京大中京が10対4でリードして

迎えた9回表。


ここで2アウトから日本文理

猛追を見せ、1点差まで追い詰めましたが、

あと一歩及ばず、中京大中京が優勝しました。


一歩及ばなかったものの、

日本文理の粘りは感動を呼びました。


このとき、中京大中京のマウンドに

上がっていたのが堂林翔太です。


勝った堂林が涙を流していて、

負けた日本文理の選手が清々しい

表情をしている。


甲子園大会史上に残る名勝負だと思います。





その翌年、堂林はドラフト2位で

入団します。


甲子園優勝投手ではありますが、

カープが買ったのは打者としての

才能でした。


逆方向にもホームランを打てる。


そういう類まれなる才能を

堂林は持っていました。




そんな堂林が一軍の試合に出始めたのは

高卒3年目、2012年のこと。


それまでは二軍でも打率は2割、

エラーしまくりという選手だったんですが、

当時の野村監督がレギュラーに

大抜擢しました。



野村監督が堂林を使った理由として

1つあるのが、どうしてもサードに

日本人スラッガーを置きたい、と。


ブラウン政権下でカープのサードといえば

新井がFAで抜けて以来、

シーボルマクレーンといった

外国人が務めてきたんですけど、

やや物足りない成績でした。


ファーストだと打力のある助っ人外国人を

連れて来れるんですけど、

打てる三塁手というのはアメリカでも

貴重な存在なので、サードで優良な助っ人を

連れてくるのはなかなか難しい、と。


そこで、2010年に就任した野村監督は

いきなり、チームの主砲・栗原の

ポジションをファーストから

サードに移しました。


栗原がサードを守れたら、ファーストに

もっと打力のある外国人を持ってこれるから

強くなる、と目論んだんですけど、

栗原は肘の手術をしているのもあって、

サードからの送球が負担になるので、

結果的には断念。


翌2011年には栗原はファーストに戻って、

サードは結局トレーシーやバーデンといった

外国人が務めたんですが、やはり期待外れ。



そこで目をつけたのが、

堂林翔太だったというわけです。


まだまだ課題の多い選手でしたけど、

逆方向にホームランを打てるという

他の選手にはない魅力を持った選手でした。


もし堂林がサードのレギュラーに

育ってくれたら、チームとして

かなり強くなるのではないか。


その可能性に野村監督は賭けました。




堂林は期待に応えました。


2012年シーズン、全試合に出場して

チーム2位の14本塁打を記録。


オールスターにも出場するなど

飛躍を遂げましたが、

三振数は当時の球団ワースト記録を更新。


エラーも20以上という、

なんとも荒々しさの残る成績でした。




ここで、堂林はホームランを打てるという

長所を伸ばしていけたら良かったと

思うのですが、真面目な選手なので、

どうしても「三振を減らそう」

「エラーを減らそう」としてしまった。


そして、いろんな人がいろんなアドバイス

してくれるわけですが、真面目な選手なので

その全部を取り入れようとしてしまった。


だから、翌2013年以降は打撃が迷走して

しまいます。



持ち前のフルスイングができなくなり、

打席の中で迷いが生じてしまう。


打撃フォームもコロコロと変わり、

打率は2割1分台にまで下降します。


さらに追い打ちをかけるように、

夏場には怪我をして戦線離脱。


代わりにサードに入った木村昇吾

活躍もあって、チームは初めて

クライマックスシリーズへの出場を

果たしました。


無情にも、堂林のいないチームは

初めてのAクラス入りを果たしてしまった。


一部ファンからは、堂林がいなくなったから

Aクラスに入ることができた、という声も

上がりました。


精神的に追い詰められたのか、

ファンの野次に対して応戦し、

トラブルになったこともありました。


本物のカープファンは、堂林が

もがき苦しみながらも、誰よりも

真摯に練習しているのを知っていました。


でも、大半のファンは

「堂林は期待外れ」

「最初の年しか活躍しなかった」

「三振・エラーばかりの選手」

という目で見ていました。






恩師・野村監督が退任し、2015年から

緒方監督が就任。


緒方監督は堂林を贔屓にはしませんでした。


あくまでもサードは「競争」を掲げ、

オープン戦で結果を出した梵英心

サードのレギュラーとして起用。


堂林は開幕二軍スタートになりました。



その後一軍に上がるも、やはり思うような

活躍はできず、翌2016年には

チームが25年ぶりの優勝を果たした中、

戦力になることはできませんでした。


2017年にはイップスを発症し、

サードから外野へコンバート。


その外野でも丸、鈴木、松山、

エルドレッドバティスタ、野間…


厚すぎる壁に阻まれ、

一軍・二軍を往復する日々を過ごしました。




自分はずっと、堂林のことを

信じて応援していました。


周りのカープファンがボロクソ言う中、

それでも堂林を信じ続ける。


簡単なことではなかったです。



でも、2019年辺りですかね。


「さすがにもう、堂林が活躍することは

ないだろう」という気持ちが、

少しずつ芽生え始めました。


ずっと好きな選手ではあったんですが、

正直、堂林を信じ抜けたか、と言われたら、

自信はありません。


堂林はもう無理だって思ってしまっている

自分も、確かに存在しました。





しかし2020年。


緒方監督から佐々岡監督に交代したシーズン。


堂林はキャンプ、オープン戦と

結果を残し続けました。


もう何年も結果を残せていない選手では

ありましたが、佐々岡監督は

堂林を開幕スタメンに抜擢しました。



すると、ついに堂林翔太

覚醒しました。


開幕から3割以上の打率をキープ。


ポジションもサードに戻り、

野村監督時代以来、久しぶりに

サードのレギュラーに返り咲いたのです。


途中で失速し、打率は.279となったものの、

レギュラーとして試合に出続けて

14本塁打


ずっと見たかった堂林の活躍が

現実になって、本当に嬉しかったです。



2021年シーズンは不調に陥ったものの、

今年はまた好調をキープしていて、

先日の試合から1番打者として

出場を続けています。


個人的には、もうこの先何があっても

堂林を信じて応援しようと決めました。


ここまで読んでもらってもわかると

思いますが、こんなにもがき苦しみながらも

逃げずに努力し続けている選手は

いないと思います。


堂林の1本のヒット、1本のホームラン。


その全てが、努力の結晶なんだと思います。


だから、どうかカープファン一同、

堂林を信じて応援して欲しいなと思います。