今、ジェーン・スーさんと
中野信子さんの対談本を読んでいます。
「女らしさ」がテーマの本なんですけど、
女らしさって例えば何だろう?と考えたとき、
スーさんと中野さんは次のことを
挙げています。
スー:控えめ、おとなしい、思慮深い など
中野:気が利く、出しゃばらない など
要するに、ちゃんと気遣いができて
陰ながら誰かをサポートするというのが
世間で言う「女」なんですね。
つまりは、女性はそうあるべきだという
空気というのが社会の中に流れている、と
いうことです。
続いて、女であることの「得」って
何かあるんだろうか?と考えたときに、
1つ挙がるのが「おごってもらえることが
多い」ということです。
これについてスーさんは
次のように言っています。
_女はおごってもらえるからラッキーだよな、
と見る男性もいる。でも、おごられるって、
場合によっては自己決定権を手放すって
ことですからね_
男性が女性の分をおごることによって、
男性が「おごってやる側」に立ち、
男性優位の構造ができる。
それで、女性は常に
「おごられる側」であり、
もっと言うと「男性に選ばれる側」なので、
果たして女性に本当の自由ってあるのか?と
考えると、微妙なところです。
だから、おごってもらえることは
女性の自立を妨げることでもあるので、
必ずしも良いことではありません。
とはいえ、その構造を受け入れている
女性がほとんどだと思いますが、
中には「おかしいじゃないか!」といって
その構造に挑んでいく女性もいる。
そういう人のことを「フェミニスト」と
呼んだりします。
フェミニズムという運動の始まりは
社会制度を変えることだったそうです。
その最たる例は、女性に政治参加の
資格が認められていなかったことに対して
「おかしいじゃないか」と声を上げ、
選挙権や被選挙権を手に入れていった。
これが「第1波フェミニズム」です。
続いて女性たちから上がったのは、
「制度だけ変えても根本的な解決には
なっていない」という声です。
女性が男性と同等の権利を得たとしても、
社会には「女はこうあるべきだ」という
性別役割の押しつけがあり、
それが女性の社会進出を阻んでいる、と。
例えば、会議の場で女性が意見を述べると
男性からすると「女のくせに生意気な!」と
いうことになる。
つまり、冒頭でスーさんと中野さんが
挙げている「女らしさ」というものが、
社会から半ば強要されているので、
「それはおかしいぞ」と声を上げていこうよ、
という運動ですよね。
これが「第2波フェミニズム」です。
そして今度は、「女性らしさは周りから
強要されるべきものではない。何が
女性らしいかは、自分で決めるんだ!」
という女性たちが現れます。
これが「第3波フェミニズム」です。
女性が「男性から選ばれる側の性」
であることはおかしいじゃないか、と。
女性はもっと自由であるべきだ。
だから、別に周りに「あなた女性らしいね」
と評価される必要なんて無くて、
周りにどう思われようと自分らしく
振る舞おうじゃないか、と。
そういうのが「第3波フェミニズム」
なんだと思います。
ようやく本題に入ります。
この「第3波フェミニズム」の一環として
生まれたのが「ガングロ」です。
1990年代あたりの渋谷などを中心に、
髪色を派手に、そして顔を黒くするという
メイクが一部の女性たちの間で
流行りました。
個人的には、それを見ても
全く「魅力的」とは思いません。
きっと、多くの男性はガングロに魅力は
感じないと思います。
そこがポイントなんです。
彼女たちからすると、
「女性は男性に気に入ってもらうための
存在ではないからね」って
ことなんですよね。
「私たちにいろいろ求めてくるんじゃ
ねぇよ」と。
「女性にだって、自由があるはずなんだ」
という意思表示としてガングロは
流行ったんだろう、と思うのです。
周りからどう評価されるか?ではなく、
自分軸で生きていくんだ_
それは、不良グループに入った中学生が
短ラン・ボンタンを着ることに似ています。
つまり、ガングロは「自由な女性」への
仲間入りという意味の
ファッションなんでしょうね。