人間誰しも弱さを持っていて、
多くの人は、その弱さに向き合うことを
避けるために威張っています。
例えば、うつ病の人に対して
「甘えだ!」と言う人は、
「自分はそういう甘えを持っていない
強い人間だ」と思い込みたいだけの
弱者です。
“ただの強がり”と言って良いでしょう。
うつ病に向き合って
治療に励んでいる人の方が
よっぽど、強い人間と言える。
“ただの強がり”が否定するものの1つに、
宗教があると思います。
特に日本の場合は、
結婚すればキリストのチャペルで
結婚式をし、人が死ねば仏教のお寺の
お坊さんがお経を唱える…
つまり、形だけは宗教チックなことを
しているけれど、実際に信仰心は
持っていない人が大半ですから、
宗教を否定することを通じて
“ただの強がり”で居ることができるのです。
神の存在を信じる人は、
人間は弱いと自覚している人たちです。
自分は弱い、
だから神に救いを求める。
神の意に背くことなく、
宗教的に真っ当な生き方をすることで、
自分が救われようとする。
これはある意味、
弱さへの向き合い方としては
正当なものです。
でも、それを冷めた目で見ている人は、
「自分はあんな人たちとは違う」と
思い込むことによって
自らの弱さを自覚することから逃げている。
自分の場合、まだ表面だけでは
イスラム教といった宗教や、
幸福の科学という宗教団体に、
書籍を通じて触れています。
特に、生きる意味だとか、
死んだのち人はどうなるのか、ということを
宗教的な考え方を通じて
自分なりの理論として落とし込んでいる。
要は、それによって、
「弱い自分がどうやったら少しでも楽に
生きることができるか」を
宗教を通じて模索しているわけです。
「弱い自分がどうやったら少しでも楽に
生きることができるか」と考えるのか、
それとも、そもそも
「自分は弱くなんてない」と
人間の弱さ自体を否定するのか。
まぁ、前者の方がしなやかに
生きることができるんじゃないかな、と
個人的には思うのですが。