※この記事は、筆者の記憶をもとに
書いていますが、記憶違いがあったら
ごめんなさい
薮田は、兄と母と3人で
暮らしていました。
薮田が幼い頃に両親が離婚し、
母は女手1つで2人の息子を
育てました。
小学生のときに野球を始めた薮田は、
中学を経て、
高校で広島の実家を離れ、
岡山理科大学附属高校に
進学しました。
岡山でももちろん、
大好きな野球を続けます。
そんな薮田に野球をやらせるために、
母はタクシードライバーの仕事を
頑張りました。
食費だけでも苦しいような
家計の事情でしたが、
母は薮田の野球道具を
揃えてあげるために、
人一倍汗を流して働きました。
しかし、タクシードライバーの仕事は、
朝6時から翌朝6時までの
24時間勤務など、
かなり過酷な労働環境でした。
それでも息子のために頑張っていた
母ですが、ある日、
勤務中にタクシーで事故を
起こしてしまいます。
母にとってはそのことが
大きなストレスでした。
そのストレスから
母は心身症を患ってしまい、
髪の毛が多く抜け落ちてしまいました。
それでも薮田に
心配をかけまいと、
試合があるとウィッグで
脱毛を隠して岡山に駆けつけ、
薮田を応援しました。
試合は1試合も欠かさず、
全て現地で応援をしました。
やがて高校3年生になった薮田は、
大学でも野球をやろうと
名門・亜細亜大学への進学を
志望しました。
しかし、薮田の兄は、
これ以上母が仕事を頑張りすぎると
体を壊すのではないかと
心配しました。
そこで兄は、
薮田に対して母の現状を全て話し、
「これ以上母さんに苦労をかけるな」と、
薮田に大学進学を諦めるよう
説得したのです。
薮田は初めて、
母にどれだけの
苦労をかけているのかという
現実を知り、ショックを受けました。
あまりにもショックだった薮田は、
1度は大学進学を諦めて
野球も辞めようと決意します。
しかし、そんな薮田に、
高校の野球部の監督は
こんな言葉をかけました。
「野球を辞めることは、お母さんを
裏切ることになるんじゃないか」
この言葉を受けて考え直した薮田。
無事、亜細亜大学に進学し、
野球を続けることができました。
しかし、薮田は右肘の故障に
悩まされ、大学4年間で
ほとんど実戦登板をすることは
できませんでした。
亜細亜大学にはプロスカウトが
視察に来ることもありましたが、
その注目は同級生の山崎康晃にばかり
集まり、薮田が注目されることは
ありませんでした。
プロ入りは厳しいと誰もが
思っていたところでしたが、
こんな偶然が起きるとは…
なんと、母が運転するタクシーに、
乗車したのです。
すぐに気がついた母はオーナーに
「息子が亜細亜大学でピッチャーを
やっています!速い球を投げます!
是非よろしくお願いします!」と
薮田を売り込みました。
松田オーナーは
「これも何かの縁だ」と感じ、
スカウトに薮田の視察に行くよう指示。
担当の松本スカウトは、
オープン戦で登板した薮田を見て
「これは、山崎以上の素質だ」と
驚きました。
そして運命の2014年ドラフト会議。
「第2巡選択希望選手 広島東洋
薮田和樹 投手 亜細亜大学」
そのアナウンスに、母は涙しました。
大学でほとんど登板していないにも
関わらず、2位指名という
異例の高評価を得て、
薮田は子供の頃から憧れたカープに
入団することが決まったのです。
そしてプロ1年目、2015年の7月。
初登板の巨人戦で
薮田は堂々たるピッチングを披露し、
プロ初勝利を手にしました。
「ウイニングボールは母に
プレゼントします」