曽野綾子さんの本を読んでいると、
こんなことが書いてありました。
_戦後教育は「市民の義務は権利を
要求することだ」と教えた。
その結果、日本人には「大人のくせして」
与えられることばかりを期待して
人には与えることをしない精神的幼児と、
もらうことばかりを堂々と要求する人が
あふれたのである_
おっしゃる通りなのだろうと思います。
自分の権利のことは言うけど、
周りの人の幸せなんて何も考えていません、
という人は多いのだろうと思います。
現に、自分の周りにもそういうタイプの
人間はいました(縁を切りました)。
曽野さんはさらに、こう続けます。
_家族や社会や国家が、そのような要求を
満たすことができるかどうかも全く考えず、
仮にできたところでその費用は誰が
負担するのかさえも考えずに、
自我の要求を非現実的に臆面もなく
言い張る人が増えた_
まぁ、「与えてもらうことが当然」と
なると当然、こういうことに
なってきますよ。
以前ツイッターで、
「ムダな国家予算を削ればいいと
言う人は、そのムダが誰かにとっては
必須だということに思いが及ばない」と
呟いている人がいました。
自分はそれを見て、
「いや、むしろあなたが、国家予算は
国民のみんなが払った税金だということに
思いが及んでいないのでは?」と
思いました。
政府がどこにどのくらい予算を
つけるかというのを毎年考える
わけですが、その原資の多くは、
国民から集めた税金です。
「私にとっては必要なことだから
国家予算をつけてもらって当然」と
言うのではなくて、
それが税負担があって初めて
成り立つものだというところに
ちゃんと思いを馳せて欲しいところ。
「私が要求していることは、
国民みんなの税負担によって
やってもらうに値するのか?」
という視点で考えるべきでしょうね。
予算をつける範囲も限界があるので、
自分が国に何かを要求するということは、
他の何かが削られているということも
ちゃんと直視しないといけません。
それは何も、国家予算だけの
話じゃないです。
会社で言えば、
部下は上司に保護してもらって
当たり前ではないし、
上司は部下に押し付けて当たり前では
ないっていうことだろうと思います。