山口のひとりごと。。

「ひとりごと」ですので、「そんな見方もあるんだな」くらいで流してもらえれば。

他人に教えれる知識こそが、本当の知識

福沢諭吉の学問のすゝめに、

とある人のエピソードみたいなのが

書いてあります。

 

その人は東京に出てきて

朱子学というのを勉強していて、

毎日先生の授業をノートに写していた。

 

で、数年経ってノートも数百冊まで溜まって

さぁ、満を持して故郷へ帰ろう!と思い、

自分は東海道を下っていき、

ノートは葛籠に入れて船で自分の家まで

送ることにしたのですが、

そのノートを送る船が事故をしてしまい、

自分が学んだことは全て海に

流れてしまった。

 

それでこの学生は絶望するわけです。

 

ただ、この学生は一見可愛そうだけど、

本質的にはこの人はただ先生の話を

ノートを写していただけであって、

それが全く自分の身についていなかったので、

結局のところ本人が悪いんだ、みたいなことを

福沢は言っています。

 

 

福沢によると、

学問とはただ授業を聞いたり

ノートに写すことではなく、

それを実際に生かせてこそ

学問と呼べるのだ、と。

 

では、学問を実際に生かすために

必要な工夫とは何か。

 

福沢は「観察・推理・読書・議論・演説」

の5つが必要だと言っています。

 

ものごとを観察し、推理する。

 

そして、読書によって自らの知見を持ち、

議論することで他人と知見を交換して深め、

最終的には演説だったり本を書いたり

することで、知見を多くの人に広める。

 

これによって、学問が意味を成すそうです。

 

 

 

学問では無いですけど、

例えば自分の場合、カープの知識が

これに近いサイクルを辿っています。

 

まず試合を見て(観察)、

いろいろ疑問を持って、その疑問について

考える(推理)。

 

その疑問を解決するために

解説者の話を聞いたり、ネット上で

有識者の意見を見たり、

本を読んで情報を集める(読書)。

 

そうやって自分の中で仮説を立て、

友達にそれを話したりツイートしたりして、

他人と意見交換をする(議論)。

 

そして最終的には、こうやって

ブログに書いたりして、

自分の考えを発表する(演説)。

 

これが福沢サイクルですよね。笑

 

こうやってどんどん、知識が

広がっていくんだと思います。

 

 

だとしたら、学校教育が、

ただ先生が話して生徒が板書するだけの

一方的な教育から、

生徒同士の話し合いや発表を重視する

方向に進んでいるのも頷けます。