山口のひとりごと。。

「ひとりごと」ですので、「そんな見方もあるんだな」くらいで流してもらえれば。

結局、幸せはお金じゃないのよね。

年末年始は実家に帰っていて、

広島の神社に初詣に行ったんですが、

その時にお賽銭を投げました。


お賽銭って、良いことをしてるって感じで

気持ちいいので、お参りが目的じゃないときも、

例えば尾道の千光寺に景色の写真を

撮りに行ったときも、

防府天満宮の梅祭りに行ったときも、

お賽銭は必ずするようにしています。



神奈川県で住職をされている

枡野さんという方の著書によると、

お賽銭には「お金への執着を捨てる」

という意味があるそうです。


すごく良い考え方ですよね。


お金に執着しても良いことなんて

全くないですから。




結局、幸せってお金ではないような

気がします。


例えば就活するとき、自分は給料面を

あまり気にせずに仕事を選びました。


幸せは給料ではないからです。


たくさん給料を貰うことよりも

自己肯定感を持てる環境で仕事をすることの

方が絶対に幸せなのでね。


なんか、1万円の財布に10万円入れておくのと

10万円の財布に1万円を入れておくのと

どっちが良いですか?みたいな

議論があるんですけど、、、


もちろん、財布にお金をかけずに

10万円の現金を残しておくというのも

堅実な考え方ではあるんですが、

たぶんそういう人って、その10万円を

幸せのために使うことができないんですよね。


常に「もったいない」の精神が強すぎて

窮屈な人生になっちゃうんじゃないかな、と。


もちろん無駄遣いは良くないけど、

財布なんて長く使うものなんだから、

10万円でお気に入りの財布を買って

幸福度が上がるんだとすれば、

それはめちゃめちゃ良いことでしょう。




あと個人的に思うのが、他人の幸せのために

お金を使えるかどうか、というのも

大切ですよね。


例えば仕事で出張に行ったときのお土産。


そこをケチる奴も居ますけど、

自分は会社の人たちに喜んでもらいたいので

値段は気にせず、できるだけ良いものを

買うようにしています。



それをあからさまにケチる人と、

良いものを買ってきてくれる人と、

どっちが印象が良いか?という話です。


見返りのために良いことをするわけでは

ないですが、そうやって人のために惜しみなく

お金を使える人には、回り回って

結局幸せが自分に返ってくる。


それが禅の考え方だそうです。


本当に、そう思います。



お金に執着して、多くの現金を

持っておくこと。


それが幸せではありません。


誰かの幸せのためにお金を惜しみなく

使えるという精神。


それこそが幸せの源なんじゃないかなと

個人的には思います。