活発な人には活発な人の考え方がある。
大人しい人には大人しい人の考え方がある。
ただ、集団行動をする場合、ほとんどが活発な人の考えを基準に、ルールが作られる。
なぜなら、大人しい人は遠慮するからだ。
大人しい人間は、自分たちの意見が通らないことをわかっているので、黙って我慢している。
そうして、どんどん「活発な人の生きやすい世の中」になっていく。
ところが近年、その我慢を発信できるツールとして「Twitter」が誕生した。
「活発な人の生きやすい世の中」に対する不満を、大人しい人が発信できるようになったのだ。
大人しい人は、周りの人間との接し方を知らない。
接し方を知らないまま、Twitterというコミュニティーに飛び込む。
だから、大人しい人というベールが外れ、「攻撃的な人」になってゆく。
すると、それに対して「アグレッシブな人」が反論を投げかける。
攻撃的な人は「なんかアグレッシブな人らが勝手にルール作ってくだらない世の中作ってるけど、絶対に俺らの方が正しいから!」と信じて疑わない。
だから、どんなに反論されようとも開き直る。
それによって、「自分の世界」をなんとか守りたいというのもある。
3次元は、アグレッシブな世界。
だから、2次元だけは自分たちの世界であって欲しい。
でも結局、そこにもアグレッシブな人が入ってきて、ゴチャゴチャ言われる。
つまり大人しい人たちは、自分の主張を何の弊害もなくできる場所は実はないのだ。
アグレッシブな人たちが作った常識に染まるしか、居心地よく生きる方法はない。
常識は、アグレッシブな人たちの考え方。
大人しい人たちには、その人なりの主張というものもある。