山口のひとりごと。。

「ひとりごと」ですので、「そんな見方もあるんだな」くらいで流してもらえれば。

校則に意味は無いがルールを守ることには意味がある

校則で髪型を縛るメリットなど
皆無です。

何の意味もありません。

古い価値観でしょう。


だから、例えば校則を破って髪を
染めてきた生徒がいたとして、先生は
「髪なんか染めちゃダメでしょ」という
怒り方ではありません。

「ルールを守らなきゃいけないでしょ」という
怒り方です。




髪を染めちゃダメな理由なんて
ありません。

強いて言うなら近所のおじさんが
茶髪の高校生見たときに
「茶髪なんてけしからん!」と
クレームつけてくるのかも
しれませんが、、、

そんなん、クレームつける方が
おかしいんですよ。

これがいわゆる「老害」ですから。


大学生は、どんなに奇抜な髪型を
していようとも、ちゃんと勉強します。

大学生にできるなら、高校生にもできる。

別に茶髪だろうがツーブロだろうが、
勉強することに対しては何の影響も
ないはずです。



…て考えてったときに、俺は髪型を
制限する正当性はないと思います。

メリットはゼロです。


ただ、どんなにワケのわからない
ルールだとしても、ルールに従って
生きるということには意味があります。

結局のところ社会に出れば、
理不尽なルールの中で
生きていかざるを得ません。

ルールを守らなくていいのは
才能のある者のみ。

才能といっても少々のものではなく、
米津玄師くらいの圧倒的な才能です。

そういう才能がある人なら、
自分で道を開拓できるので
ルールに従う必要はありません。


でも俺らみたいな凡人は、
自分で道を開拓できません。

ならば、他人に敷いてもらったレールを
進むしかない。

他人のレールを進むということは、
守るべきことを守るということです。

ちゃんと規則を守る人間だからこそ、
周りが助けてくれるのです。


だから、校則で髪型を制限することは
おかしいかもしれないけれど、
「ルールを守る」ということは人として
やるべきことなんだろうな、と。

カルロス・ゴーンが国外逃亡とか
していますけど、それも結局
同じ話ですよね。

日本の司法がおかしいのかもしれないけど、
だからってルールを破っていいわけじゃない。

ルールを守っている人間が
「このルールはおかしい」って
主張するのは自由ですけど、、、

ルールを破る人は、俺は
どうしようもないと思う。



つべこべ言わず、
ルールくらい守ればいいんです。

ルールに意味なんてないけど、
みんなそれに従ってやってるんだから。

それが健全な生き方なんです。