山口のひとりごと。。

「ひとりごと」ですので、「そんな見方もあるんだな」くらいで流してもらえれば。

成績いいのに卒論進まない大学生

Twitterでたまたま、

GPAは高いのに卒論は進まない

学生がいる、みたいなツイートを

見たんですよ。


たしかになぁ、と。



要は、成績は優秀だけど

卒論はできない。


それは、普段の勉強は与えられた課題を

こなす、みたいな作業なのでできるけど、

卒論は自分で目標設定するわけなので、

それが苦手なんだ、と。



たぶん、そういう人っていうのは

小さい頃に「自分らしさ」的なものは

失ってるんですよ。


要は、自分の興味あることを

探究したら「変な子だ」みたいな

見られ方をしてしまった。


親に「なんでそんなことするの」

「うちの子頭おかしいのかしら」

みたいな目で見られたがために、

自分で目標設定するっていうことが

苦手になってしまう。


ただ、学業で成績を出すことによって

親に認められるので、

勉強自体はすごく得意になる、と。



親が「うちの子頭おかしいのかしら」

っていうのは、要は周りの友達とかと

比べてそう言ってるんですよね。


だから、子ども自身も自分と周りを

比べるようになって、

周りと同じ「普通」の人間になろうとする。


普通の人間になろうとするあまり、

自分の意思っていうのはなくなりますよね。


周りと同じになる、また、

親が望むような人間になる。


そこに尽力して中学・高校と育っていって

しまうので、大学生になるときに、

まず自分のやりたいことがないので

どこの大学のどこの学科で学びたい、

みたいなのはないんですよね。


漠然と、数学の点数がいいから

理数系の大学に行こう、みたいな

決め方をしてしまう。


だから、そこで「これを学びたい」みたいな

目標っていうのはないので、

卒論でつまずいてしまうんです。



こういう人は、自分の意思を持てって

言ってもなかなか簡単にできないんで、

目標を教員側が設定するしか

ないと思いますね。


で、自分で目標設定しなくても

成立するような仕事に就くのが

いいと思う。


それはもう、そういう育ち方をしたので

仕方ないですよ。


自分の意思がない人は優秀でない、

という話ではなくて、

それはもはや得意・不得意の問題なんだ、と。


こちらから指示したことを完璧に

こなすのは得意で、

自分で考えてやるのは苦手。


そういう「個性」なわけなので、

別に治す必要はないんじゃないかな、と

個人的には思いますね。


卒論なんて、まぁどうにかなります。笑


学生のうちに尖っておかないとダメだぞ

人間誰しも、尖ってる時期っていうのは

あるんだと思います。


そういう時期っていうのは、できるだけ早く

迎えた方がいいんだろうな、と。


小学生の頃に、お行儀よくしてて

「いい子だね〜」って言われて

育った子って、

「いい子でいなきゃいけない」と

思っちゃうので、学生の間に

尖りきれないんですよ。


そしたら、社会に出て親元を離れた

タイミングで尖っちゃうってことに

なるので、それは痛い大人でしか

ないよね、という。。


事件を起こした容疑者の

同級生とかがよく、

インタビューで「学生の頃は

普通の人だったんですけど...」

みたいに言ってますよね。


あんな普通の人が、

一体何があってそんな事件を

起こしちゃったんだ、と。


でも、むしろ普通の人こそ

そういうリスクは高いんだと思う。


普通でいなきゃいけないっていうことで、

自分の本当の気持ちに蓋をしたまま

学生生活を送ってしまっている。


それが、あるタイミングで爆発する。


だから、普通の学生ほど大人になって

事件を起こしてしまう、という。


逆に、学生時代に馬鹿なことやって

喧嘩して怒られたりしてた方が、

学生の間にちゃんと修正できるから、

社会に適合しやすい。


だから、学生のうちにしっかり

尖っておいた方がいいんだろうな、と

思います。


周りが望むような「ちゃんとした人間」を

演じる必要は全然ないです。


精神を病むということ

今日、とある記事が目につきました。


その記事というのが、

日本ハム中田翔のことが

書いてある記事です。


先日二軍落ちした中田ですが、

監督によると「体調不良」とのこと。


しかし、本当は体調不良以外の理由が

あるのではないか?とし、

あることないこといろいろ書いてある

記事なんですよね。




その記事以外にも、

中田の二軍落ちについて

「トレードの前兆か?」みたいな

記事もあったりします。


まぁ、あの中田が二軍落ちっていう

衝撃から、いろいろ勘繰りたくなるのは

わかるんですけど、、、


そういうのはあまり良くないと

思うんですよね。



個人的な解釈なんですけど、

恐らく中田は「自分が打たなきゃいけない」

という責任感が強すぎるあまり、

今悩みすぎて精神を病んでる状態だと

思うんですよね。


それで、栗山監督は中田を守るために

「体調不良」という言い方を

してるんだと思うんですけど、、、



この、精神を病むということが

どういうことなのかってことを、

理解できてない人が多いですよね。


精神を病むってことを

気持ちの問題だとか言う人も

いるんですけど、そうじゃない。


自分ではなかなかどうしようも

できないことなので、

まずはしっかり心を休めることと、

周りが理解して助けてあげることが

大切なんですよ。



中田がベンチでバットに八つ当たりしたり

する映像を見て、中田のSNSにクレームを

書く人とかいるようですけど、、、


その気持ちはわかるけど、

中田自身、そこが自分のダメなところだって

自覚してるはずなんですよ。


やってしまった後で

「なんでこんなことしてしまったんだ」って

後悔して、罪悪感とか情けなさで

胸がいっぱいになってると思う。


そういう人に対して、

SNSのコメントなんかで直接攻撃するって

いうのは、結局中田を追い込むことにしか

ならないですよね。


まぁ、バットに八つ当たりする方が

悪いんですけど、それに対して

ヤイヤイ言うのを「自分は正しいことを

やっている」っていう感覚を

持ってるでしょ?


中田はわかってないから、

自分が教えてあげなきゃいけない、

という正義感から、

わざわざ中田のSNSに書き込んで

本人に直接攻撃してるわけなんですよ。


でも、その「自分は正しいことをしている」

っていう感覚はものすごく危険で、

正しいことをしていると思ってる人間は、

制御不能なんですよ。


例えば、京アニ事件の青葉容疑者なんて

まさにそうだと思う。


京アニが自分の作品をパクったんだ、

だから京アニを放火するのは

正しいことなんだ、という感覚が

あるからこそ、脳が制御不能になって、

結果的にあんな残酷なことを

やってしまう、と。


だから、中田を攻撃する人も、

中田に関する記事を書いてる人も、

「自分は正しいことをしている」

っていう感覚は捨てて、

今一度中田本人が今どういう心理状態か?を

考えるべきじゃないかな、と思います。





精神を病むって、どういうことなのか。


それこそ、深田恭子さんが

適応障害で休養を発表しましたが、、、


深田さんにしろ、

まずはちゃんと仕事を休むということ。


これが何よりも大切なんであって、

それに負けない強い気持ちを持つことが

大切ではないんですよね。


気持ちが弱いということは

情けないことではない。


誰だって弱い一面は持っているんだから、

それとどう付き合っていくか?ってことが

大切なんだと思う。


誰にでも精神を追い込まれる可能性は

あるんだからね。


で、そのどう付き合っていくか?の答えを

出すためには、ちゃんと休んで

気持ちを整理した上で考えないと

いけない。


だから、一旦ストレス要因から離れて

時間を置くというのがとても重要なんです。


休むのは甘えではありません。



まぁ、中田が精神を病んでるっていうのは

あくまで自分の勝手な解釈なんですけど、、、


恐らくそうじゃないかなと思うので、

周りはあまりヤイヤイ言わずに

そっとしとくのが1番ですよね。


平気なフリをしてるやつ

本当は生きることへの苦しさや辛さ、

不安に押し潰されそうになってるのに、

平気なフリをしている人って

いっぱいいると思うんですよね。


例えば、教職員とか

まさにそうなんじゃないかな、と。


裏ではめっちゃ頑張っているし、

生徒の人生に対する責任を負ってて、

めちゃめちゃ大変だと思う。


でも、先生が不安がってたらそれは

生徒にも伝染しちゃうから、

先生は平気なフリをしてなきゃいけない。


どんなに苦しい状況でも、

平気なフリをしなきゃいけないんです。



小池知事や吉村知事もそうだと思う。


コロナで命を落とす人がたくさんいる。


医療従事者も大変だし、

経済が回らなくて大変な人もいる。


そういう人たちに対する責任を全部

背負ってるわけだから、

本当に精神的に限界まできてるはず。


だけど、平気なフリをして、

批判覚悟でいろいろ決めて

説明しなきゃいけない。


それがどれだけ大変なことかと

いうことですよ。




平気なフリをして生きてる人って

たくさんいます。


自殺する人って大概、

前兆を見せないまま急に

自殺してしまうんですよね。


平気なフリをして生きてるから、

周りから見たら平気なようにしか見えない。


なんで気づいてあげれなかったんだろうって

自分を責める人もいるだろうけど、

平気なフリをしてる人の本当の辛さに

気づくのは至難の業です。


辛さに気づかれてはいけないと思って

必死に隠すわけなのでね。


クイズ形式の授業って面白いと思う?

太田上田」という番組の

とある回で、こんな会話がありました。



【上田】

例えばね、今日は歴史の授業を

やります、と。


で、最後の10分間はいつも

早押しクイズ。


だから、50分のうちの

40分は今から授業聞いとけ、と。


で、チーム対抗で今から10分間

今日の歴史のクイズ出すから

って言ったらちょっと真剣に

聞いたりしねぇのかな?



【太田】

いやー、それは偏差値高い人の

発想だな。



【上田】

なんで?


だって、それで聞きそうじゃん、授業



【太田】

いやいや、クイズはテストなんだよ、

俺にとっては。


クイズが嫌なの。


試されるのが嫌なの。




これ、上田に共感する人もいれば、

太田に共感する人もいますよね。


傾向的に、陽キャは上田に共感して

陰キャは太田に共感すると思う。



今、先生がただ喋るだけの授業では

ダメだよねってなってきていて、

授業の在り方について

いろいろ議論されています。


自分も教職の授業とか受ける中で

そういうのを考えてたんですが、、、



人によって、理想の授業っていうのは

違うと思う。


例えば「〇〇くん、この問題の答えを

言ってください」って感じで、

生徒を当てる先生って

いるじゃないですか。


それを、別に何とも思わない人は

何とも思わないんですけど、

人によってはそれはプレッシャーになります。


答えられなかったときに、

わかってないのは自分だけなんじゃないかとか

授業ちゃんと聞いてなかったと思われるんじゃ

ないかとか、いろいろ考えちゃう人にとっては

先生が生徒を当てるっていうのは

やめて欲しいんですよ。




少しでも楽しい授業って

どんなんだろう?って考えたときに、

クイズ形式の授業っていうのも

選択肢として考えたんだけど、

そういう授業が苦手な人も絶対にいる。


特に自分自身がそうだったから、

その気持ちがすごくわかるんですよ。笑


まぁ、陰キャ陽キャでわけるのも

雑なのかもしれないけど、

陽キャは授業で落ちこぼれたとしても

卒業後は社会で生きていける術が

あると思うんですけど、

陰キャは落ちこぼれちゃうと自信喪失して

社会に出られなくなっちゃうリスクもある。


そこを考えたときに、

ただ単純に「楽しいからクイズ形式の

授業にしよう!」っていうのは

安易な気がしてしまいます。




個人的に、もし自分が先生だったら

やりたい授業は、野球部やサッカー部の

クラスの中心的な生徒を上手く使う

授業です。


要は、恥をかかせても大丈夫な生徒を

使う、と。


クイズ形式にしろ、

陰キャを絶対に当てないで、

恥をかいても平気な子を当てる。


そして、その子が例えばトンチンカンな

回答をしても盛り上がるだろうし、

そこから「違うよ、これはこういうことだよ」

って言って、学びにも繋がる。


で、盛り上がりたい人は盛り上がればいいし、

そのやりとりに参加したくない人は

黙々と自分で勉強していればいいと思うし。


盛り上がる授業だからみんなで

盛り上がらなきゃいけないとか、

真面目な授業だからみんなで真面目に

聞かなきゃいけない、みたいに、

全員を無理やり同じテンションに

する必要はないと思うんで、

陽キャ陽キャで盛り上げてもらって、

陰キャ陰キャで真面目に勉強していれば

いいんじゃないかな、と。


それで文句言う生徒はそんなに

いないんじゃないかな?と思います。


自分が思うより自分の味方って多いよね

残念ながら、SNSで誹謗中傷を受け

精神的に落ち込んじゃう人が

たくさんいます。


それで自殺まで追い込まれちゃう人も

いると思うんですけど、、、



誹謗中傷する人って、

ほんの一部の人なんですよね。


多くの人は味方なんだけど、

一部の思いやりのない奴がワァーと

攻撃してくる、と。



で、味方である人たちって意外と、

「君の味方だよ」とハッキリ

言わないんですよ。


味方はメッセージを送らないけど、

敵からはどんどんメッセージが来る。


だから、自分には敵しかいないんだと

思ってしまって、精神的に追い込まれる。




たぶん自分が思ってるより、

自分の味方って多いんですよね。


精神的に辛いとき、

それを忘れてしまいがちなんですけど、

自分の味方って探したらいっぱい

いるんですよ。


例えば、仕事でミスして怒られて

精神的に落ち込んで、

「自分ってなんてダメな奴なんだ」と

思ってしまったとき。


そんなとき、周りには意外と

「助けてあげたい」と思ってる人が

たくさんいます。


「あいつダメな奴だな」って

責めてくる人はほんの一部です。



頑張っても頑張っても報われなくて

苦しいとき。


そんなときに、その姿を見て

笑う人もいるんだろうけど、

心の中で「頑張れ」って言ってくれてる

人の方が圧倒的に多いです。




敵はすぐに攻撃してくるけど、

味方は自分から「あなたの味方です」とは

なかなか言わない。


でもやっぱり、自分の周りには

自分の味方がたくさんいるんだってことを、

忘れないようにしたいですね。


傷つけちゃっても、ドンマイだよ。笑

誰かが何か言ったときに、

それに傷つく人がいて、

傷つけたことを責める人もいる。


SNSの普及などあって、

そういう責める声っていうのが

本人に届きやすくなったので、

今うかつに発言できないっていう

世の中になってるんですよね。


傷つけたとか嫌われたとか、

そういうのを考えなきゃならないから

若者は人間関係に疲れているのでは

ないかな、と。



でも思うんですが、

どんな発言であれ、

どこかの誰かが傷つくリスクって

常につきまとうんですよね。


どんなに気をつけていたとしても、

不意に誰かを傷つけてしまうことはある。


例えば、卵をひとつ持っています、と。


その卵を1ヶ月間ずっと持ち歩いて

ください、と。


ただし、絶対に割らないように

気をつけてださい、と。


...割らない自信ありますか?


絶対に100%割らないなんて保証は

誰もできないですよね、

どんなに気をつけてても。




そういうことなんですよ。


どんなに気をつけていたとしても

不意に傷つけちゃうことはあるんです。


だから、それは「仕方ない」と割り切って

いいんだと思います。


誰かを傷つけたとしても、

そのときは素直に謝ればいいと思うし、

やらかしたときに見捨てず助けてくれる人は

絶対にいると思う。


それは、普段の行動とか態度で

決まる部分なんで、

普段からちゃんと人に感謝の気持ちを

持って、素直に生きていればいい。


そしたら、絶対に自分を好きに

なってくれる人がいるし、

そういう人がいざというときに

助けてくれるのでね。